○テレビの裏側。
テレビなんてスポンサーの宣伝広告の塊。
番組の合間に流れるCMだけが広告ではなく。番組全体がスポンサーのものだったりする。
映画の販促だったり、商品の宣伝だったり。
カモフラージュされすぎててわかりにくいけど よくよく考えると。ああなるほどな。
これを流行らすために、これをやってたんだ、と思う。

それはニュースであっても同じで、広告主に都合の悪い情報や、ライバル会社を誉めることはしなかったり…。じゃぁ何を信じればいいんだろうなぁと思うけど
情報を配信するのだって時間がかかる。
時間がかかるとお金がかかるんだから
しょうがない。

比較的ブログやクチコミなんていうのは、ダイレクトな意見がきけていいなーと思ったりする。
価格コムの掲示板とか。

商品購入の参考になるのは「ブログ」--女性の半数が回答

やっぱり実際使ってる人の声は違うな。
AISASの最後のSです。


でもそのうち 全部金で動く。

カリスマ読者モデルたちが仕掛ける口コミマーケ「トレンドセッターパブリシティ」

何がいいとか何が悪いとかっていうのは いったい誰がどこでどうやって決めてるんだろうなぁ。


コンテナーからコンテンツを取り戻せも 言われてますが


放送局は制作会社(コンテンツ)を囲い込み、自分たちに都合のよい番組を作り出す。たとえば「ネットがテレビを放送する日」で紹介した「著作隣接権」などが放送局に都合のよい法律ができている。

>米国の新聞経営者らの合言葉は「コンテナー(新聞など情報の入れ物)ではなく、コンテンツ(情報の中身)に注目せよ」新聞社の電子版の広告は爆発的に伸びる。だから電子新聞に掲載する情報は出し惜しみするな。サイトに壁を作るな。そんなことをすると、検索エンジン経由でせっかくアクセスしてきた読者に悪い印象を与え、広告集めにマイナスの材料を自ら作ることになる。

なのに日本の新聞ときたら日本の新聞はインターネットにニュースを流すものの、肝心な部分は出し惜しみしたり、数日立つとリンク切れになったりする。
~中略~
新鮮なニュースが無料で、古いニュースが有料なんてやっぱり変だ。


この部分が非常に面白いなーと思う。


あと


メディアを考えるときに、コンテンツとコンテナーという分け方がある。番組や記事がコンテンツであり、それを人々に伝える電波や印刷物、ウェブサイト、メールなどがコンテナーだ。

 本当の通信と放送の融合というのは、メディアを「コンテナー本位制」から「コンテンツ本位制」へと移行させることである。

 これまでのテレビ局は電波免許というコンテナーにしがみつき、コンテンツ制作者である番組制作会社を下請けとしていじめ抜いてきた。だが今後、ブロードバンドの普及などでテレビが多チャンネル化していけば、秀逸なコンテンツを作るクリエーターこそが重要なのであり、どのチャンネル(コンテナー)で番組を送り出すかは重要でなくなる。(「サイバージャーナリズム論」第三章 テレビ局をめぐる大いなる幻想/佐々木俊尚著)

日本はコンテンツがコンテナーにがんじがらめに掬い取られているゆえに、インターネット上では商売ができない。


↑の部分も。


とはいえ あまりクリエイター主体になって、他チャンネル化されると情報をチョイスするのが苦手な人(私とか)はそれを入れた入れ物に頼るような気がする。(ベスト版だとかセレクト版だとか呼び名はいろいろありそうだけど)
関西ウォーカーとか買っちゃうしね。
グルメもレジャーも新店情報も番組も全部まとめて知りたい…という。
HDDナビのセレクト機能も使ってないしなぁ。。

そうなると 他社のレーティングだよりになるのかしら。