①サカナそのものではなくサカナの釣り方を教える

②幸せの完成形ではなく、幸せを感じられる心の物差しの種類を教える


これらは、私の中で割と好きな人生観であり

特にポリシーが無い我が家の子育てにも関わらず

(健康で元気ならそれが最高)

子供に教えてみたいなぁ

(子供自身が共感するかどうかはまた別)

と思う人生観。



特に②は、究極的な例だと

年収額アップを試みて、実際いくらあげても

(仮に700万程度、いわゆる日本の平均年収の倍程度)

精神的幸福度は一定の時点で頭打ちを迎える

というどこだかのデータがあるらしく


このデータを私自身の過去実績に当てはめてみると

確かに規模感の違いはあれど

幸福度の頭打ち説にはものすごく頷けて



しゃかりき企業戦士として年収アップを目指してた期間や

それを終えて自営を始めたとしても

自分軸が定まらず周囲の圧倒的なキラキラ感に劣等感しか

持てなかった苦しかった自営初期を振り返るに


逆に人のことなど構えないほど

貧乏暇なしの言葉宜しく

どんなにひもじくても

留学を夢見て目標額を貯め続けた若き日や


その目標額を達成して片道切符を握りしめて

渡航した若き日々。


はたまた妊活や出産子育てが軌道にのるまでの

我ドケチ生活の日々。


これら貧乏で悲しみしか無い日々なのかと思いきや

そんなのとは真逆の、空恐ろしいまでの

精神的幸福感で満たされた満足度の高き日々だった

(毎日の目標そのものにブレがなく、達成までの時間を過ごすこと自体に幸福感がある)

経験を踏まえると



お金があろうと

無かろうと

どこかの誰かが数値化した幸福度の物差しを

子供に教えるのではなく


いつ

どこで

何が起ころうと


自分に与えられた人生のカードを

最大限有効に使い切り


うまく行ったと感じる時も

そうじゃ無い時も

人様との関わりを平和に保ち

自分自身の事も大切にできた時が

いかに幸福かを

子供にも教えてあげられたらなぁ




なんてふと思う今日この頃。

そう、幸福を感じられる物差しの種類が多いほど

人生の満足度はあがるんだよね。

勿論自分でもツッコミます。

そんな教育論、理想やん!

て 笑



そう、理想論よね。

現実の子育てなんて

テンヤワンヤで

イライラしてる時間は長かったりするし


究極はやはり、どんな子育てをしようと

元気で健康でいてくれるだけで感謝

その精神は変わらないとしても


でも、やっぱり私は理想を描いてしまうし

もし親の背中を見てくれてるのだとすれば尚のこと

私は幸せを感じるセンサーを何種類も持っているんだよー

と堂々と示していきたい所存!