先日、同じ棟に住む子育て中のファミリーの

奥さんとバッタリ遭遇。


私にしては珍しくご近所トークに花を咲かせました(ここでは逃げなかった!)

とか、サラッと書いたけど

コミュ障な私にとって、こんなハードルの高い事をやり遂げた事わけなので

自宅に戻って玄関に入るなり思わず歓喜の声を上げる勢いでガッツポーズよ 笑



沢山の決断を重ねて越してきた

この古団地。

そして越して来る時に浮かんだ小さいけれど

大切な理想たちを

一つ一つ叶えるべく

これまた地味な家事や工夫を重ねる事で

古団地を私たちのお城として守ってきたわけで

【家計の適正化】団地ライフ



そのお城は物理的に存在している事だけがお城である理由ではなく

もっと本質的に精神的に私たち家族にとって大切なものになるプロセスにおいて

家ガチャ?!古団地LIFEの実態とは



やはりご近所付き合いを無くして語る事はできません。

間違いなく我が家は低い月齢ならではの騒音

(夜泣きや日中の子育て中ならではの生活音をゼロにする事はできませんからね)

を生んでしまっていて

それを受け入れてくれている

ご近所さんあってのお城、

なので

感謝してもしきれません。






そんな事を嘘偽りなく心の中からようやく思えたからこそ

奥さんともホンネで話せるようになるなったんだんだろうなぁ、て自分の変化を思いました。



そしてご近所付き合いを学術的に

ソーシャルキャピタル、

すなわち社会的資本と表す事もありますが


私にとっての古団地ライフは

まさにソーシャルキャピタルとして価値を

生んでくれています。



どんなに個人として富を築こうが

仮に一つたりとてソーシャルキャピタルを持たないのだとすれば

どんな億り人とて孤独に耐えられず

1人部屋の中で三角座りをして

時を過ごす事になるのは

ぼっち好きが長い、この私にも理解できますし


あのホリエモンのような巨万の富を一代で手にした人ですら

とある対談で、町内会の大切さを解いていた(と私が解釈した)くらい



スーパー情報化社会を生き抜く現代の私たちは

その社会進化の加速度に気を取られる事なく、

いつの時代でも変わらず

ソーシャルキャピタルの恩恵を受けていると思わずには要られません。


そして、勿論、ココでいうソーシャルキャピタルとは、私のような子育て中の環境に限らず

多様化の今のご時世、

独身だろうが

結婚していようが、

何歳だろうが

何人にも潜在的に必要な資産であると思います。

(私が子育てを理論化するのが好きだから、子育ての側面からソーシャルキャピタルを捉えてみただけ)




あ、そうそう

話を冒頭に戻せば

ほんと奥さんいい人だったぁ!


この日に限らず会ってお話しできた日は

ポッと心が温かくなるような

そんなお人柄にすこぶる感謝!