まぁまぁ書き散らかしてる
実母との犬猿の仲具合たるや…うん

こんなん書いてても、
時に生活支援やら託児やら
使えるモンは使え、とばかりに
実家を使い倒してる自分を振り返ると



あ、多分これが同族嫌悪てヤツかー
と思えてならないのでして…



何かというと
人は自分と似た者を嫌悪する傾向にある
とゆー事。



そして、それを私と実母との関係で見るに
多分私と母とは本質的には水と油ほど違う
はずなんだけど


例えば
その場その場の思いつきで
好き勝手生きてる姿がチラつくと
『ズルい(私だってそうしたいのに)』
というような感情が湧いてきては
私の中でのイライラが増幅しているのではなかろうか、と。



はたまた
家族愛だの
パートナーシップだの
耳障りのよい大義をかざして
人生の孤独感を埋めようとしてる
その哀れな生き様とか

結局そんなモンで埋まらない孤独感は
周囲からの孤立や
実の息子から受けた再起不能なほどのDV
として現実化してるやん
(バカか)



てヒト様(母)の人生の評価をしようとする自分だったり
私の中の他人への評価欲(支配欲)こそ
よっぽど下品だよな
て事を意味してたりするわけよな。



そして、その感情の方程式を確認すると
割と我に帰ったりするのが不思議
(アンガーマネージメントに効果的?!)



要はイライラがマックスの時に
いや,,ちょっと待てよ
今私目の前の人に対して怒ってるけど
その目の前の人の姿の中に、
私のホントの姿が隠れてるんぢゃね?!?!


なんて冷静に分析なんてしちゃうと
もぉなんてゆーか拍子抜けよ





そう
醜く見えるその姿は私の写鏡、笑えるでしょ



そして、その時同時に湧き上がってくるものもあって
それって私の中でのプライド、てヤツ。
プライドと言っても悪い意味でのソレで
つまり
私は目の前にいるソイツほど醜くなんかないワイ!

て精神よ。
目の前の出来事でイライラする位なら別にこんなちっぽけなプライド、1ミリも要らんのに
ただひたすら、自己を正当化するのが
私の癖だよなぁ、と思えたりします。


最近でもよく耳にする自己肯定感、て言葉。
たしかにわざわざもって
自分を卑下したり
低く見積もるのは
人生を悲しいものにする可能性はあるけれど



でも私のように自己肯定感を保とうとするあまりに
無駄にプライドをかざす事につながるのだとすれば
勿体無いよね。



冷静にみればみるほど
イラつく現実に笑けるスパイスが
効いてるもんだー
中途半端に終わった今年のハロウィン飾り笑