ヤングケアラー
なる新語に触れつつ
テキトーに書き散らしたいくつかの記事ですが…




自分の半生を振り返るに
たしかに私は若き頃から
母のココロをお世話するのが日常の



ヤングケアラー
なる新語に当てはまる人種の1人かも
知らなくて



保健師さんが私に向けた心配は
図星の部分はありつつも





実は私の中でこれらの時代の事を
取り立てて問題視せず消化してた理由は
ズバリ自ら進んでケアラーの道を選択した
ということ。


どこかでも書き散らかしたけど
私の場合、
家庭内でケアラーになんかならず
ただただ抱える不満を発信するべく
例えば非行に走るとかの選択肢はあったわけで



実際こんな私も高校時代に一度だけ
学校の授業を抜け出し校内から脱走する
という手柔らかな非行をしてみたりもしたんだけど



実際この手段を取ったことで
ビックリするくらい得られる利益、て少なくて
(求めてた平和で穏やかな日常は手に入らなくて)




だったら、やっぱり私は
家の中で母の心のお世話をする方が
ずっとずっと効率がよいんだ
と学んだわけで



そう振り返ると
【自ら選んで進んだ】
その事は、



幼い年齢が故の少ない経験値下での
選択だったとは言え
自己犠牲的に出来事を捉えない
ための1つのキモになっているような
気がするわけです。




とは言え同時に着目すべきは、
やはり選択した年齢の低さなわけで


中高生程度の年齢相応の経験しかないのならば
そこで下す選択にも不十分さは避けられなくて




例えば歳を重ねてからも
その選択をした事を変わらず納得し続けられるか


は疑問だったりするわけです。
事実、私の兄も私と同じく母のケアに
青春を捧げる選択をとりましたが


見ての通り、社会経験を積むなかで
消化しきれていなかった
ココロの中のアクのようなモノが
ムクムクと湧きかえってしまい



それが結果として
家庭内暴力(や、一部の外部の人への暴力)
として現実化してしまったわけなので





そんな兄の例があるからこそ
選択的ケアラーだから問題無し
とは言えないんだなぁ
と思った、そんな保健師さんからの
一言だったのでした〜