こんばんは~

今日も関東地方はすごい雨でした、、、

 

 


畑のお野菜を使った残り物の朝ごはんを食べていた時間が

うそのようにパートに行く道中が憂鬱になった

ぱん子です。

(車欲しい 笑)

 



 

さて、タイトルの件。

実は昨日家のPCでなれない作業をしていたら

何かの拍子に過去の写真フォルダーに迷い込む

ということがありました。

 


 

それはそれははるか昔の記憶にしかなったような

海外渡航中のものだったり

後は帰国後に自営を始めたころのものだったり。。。

 

 

 

それは、それは懐かしく、恥ずかしいような

気持ちになりました。

 

 

 

と、同時に、

「あ、なんかワタシ とても幸せそうじゃん」

て思ってしまったわけなのです。



 

 

 

そう。

ここが発見。

私、どうも思考の癖として

過去の自分を痛めつける傾向があるんですよね。

 

 

特に心理学の勉強を始めた30代前半の

タイミングを境にどこか、

今の自分は過去の自分に勝ち誇ったような

過去の自分はとても不幸だったと決め付けるような

そんな気持ちがうっすらでも心の中に存在することは

冷静に自分を振り返ってみて自認せざるを得ないわけで。。。

 

 

 

 

で、そう

これって、過去のワタシにとても失礼だな~

とも思って苦笑いしてしまいました 笑

 

 

 

あのー、よくいるじゃないですか

世間一般で言うところの「幸せな人生」を妄信し

ぱん子のような「それ以外の人生」を選択して

生きているそんな人を見つけては

「不幸認定」をしてくる、そういうBBA 笑

 

 

あたし、こういうBBA大っっっっ嫌いでしてね。

どれくらい嫌いかというと

こういう不幸認定を自分とは関係ない人にしている様子を

見ただけで、その人とこれ以上関わることを控えよう決めるほど

 

 

それくらい 嫌いだし、人間として警戒しています(自衛本能w)

 

 

結構こういう人居ますよ。

たとえば母子家庭で育った子が居れば

(あーこの子はビンボーな家の子なんだーかわいそうに)

みたいな、そんな思考を選択するそういう人です。

 

 

母子家庭=お金ない=不幸=かわいそう

 

 

みたいにして

勝手に事実認定して評価をして

しかもそういう一人よがりの傲慢気質なことを

恥ずかしげもなく公言してしまうという

そんな層はどのコミュニティーに属しても一定数は存在します。

 

 

 

いや、とても失礼。実に無礼なわけでして。

そして、そんな無礼極まりないことを、私は過去の私に

無意識にしてたなーというお話です。

 

 

確かに心理学を学びだして、さらにそれを実践しだすと

見る世界が変わり、生きる世界が変わり、目にする現実の種類も

以前のそれと比較にならないほどの変化を体験します。

 

 

でもね。

そんな変化の後から見た、変化の前の景色が

不幸だったか、幸せだったか、

なんて、誰にもわからないわけよ。

 

 

だって、自分という人間ですら、今この場所、この瞬間しか生きられない

んだからさ。

 

Nowhere という英語の区切りを変えると

Now here なんだよね。

 

そう、過去のどこかの時点には戻れない というわけ。

 

 

と、まぁ徒然書きましたが…


明日はアトリエのベランダに

グリーンカーテンを作るべく

ゴーヤーの苗を仕入れてきますグッド!