こんばんは〜
今日は久しぶりにマトモな時間での
記事up。

人事出身のマルチクリエイター パン子です。



今日は暑かったねー
でも公園の散歩は気持ちかった!


そして
昨日アップした、こちらの記事
またまた沢山の方に読んでいただき
ありがとうございました。
今日は記憶が確かなうちに
なぜ私がこのスラム街で英語を教える
プロジェクトに参加したか、を
書いてみます。




まず、前提として
私は中学入学と同時に
英語の英才教育が始まりました。


なもんで時には
新聞社主催の英語のスピーチコンテスト
学校の代表として出てみたりしてましたねー



そんな事をしてるとね、、、




正直ね、、、




子供らしさ がさ、無くなるのよ 笑笑
(皮肉の意味を込めまくり。
いわゆるガリ勉気質 てヤツ)




14〜5才にして
私の将来の夢は国際公務員!
(国連職員のこと)




貧富の差がなくならない
いまのこの世界を変えるぞ!



みたいなさ
なんか そんな風な(あくまでそんな風w)
夢を抱くワケなのですわ。

可愛いよねー😍





ただね、そんな果てしない夢
叶うわけもなく
(英語の伸び1つとっても、頭うちの
大スランプ期突入のマイ セブンティーン)





進学校の受験政策にマンマと乗っかり
国際公務員ではなく
日本の公務員(か法曹)に進む道を
選んだ大学受験。



結果的には中央大学 法学部という
トンデモナイ進路に進むことになる
わけですが、、、
(笑笑)




どうトンデモナイかというと、
この道に進めば必然的に
日本全国から選ばれし優等生に
揉まれるわけでして



私は完全にその波にのまれましてん。
いわゆる今で言う、隠キャ てヤツ。
コンプレックの塊で冴えない学生さん
になってしまったわけ。




なわけで悩みます。
なんでだ?
なんで、私ここに来たん?

国際公務員になりたかったんちゃうか?
世界の貧富の差を埋められる人に
なる夢はどうした???



ここは相当自問自答し
でも、いくら考えてもその当時の
私には答えが出ず
(自分のホンネに気づけてないから)




結果的に、
また自分をごまかすために
大学が募集してた奨学金制度みたいなのに
応募しては
成績ヒエラルキーをひたすら登れるように
努力するような
そんな四年間を過ごし




でもそんな誤魔化しなんて
そうそう長続きするわけもなく
卒業後の社会人数年目にして
終わりを告げる出来事が起きます。





それが、実家の相続事件に関連した
兄のDV事件でした。
たしか ここで書いてたかな。



家のすったもんだを言い訳に
まともな恋愛すらできずにいた私にとって




家で定期的に繰り広げられる
兄と母との大騒ぎは




私にとって、海外に逃亡する
またと無い言い訳になるわけじゃないですか 笑笑





そうだ。
別に私が海外に行くことを悲しみ
止める彼氏もいない



日本にいて
家にいたってオトコが暴れてる




や、もぉこれ、来たな チャンス。
確信しましたよ。







なもんで、
そこからは朝昼晩三つのバイトを掛け持ちして
1年で150万を貯めて
アジア横断(数回に分けて)とオーストラリアへの留学費用に充てたわけなのです。




そして、アジア横断に際しては
長年の私の夢であり
まだ一度もチャレンジすらしたことの無い
国際問題解決のための
現場活動に充てられるよう
日本が母体のNGO団体への登録も
済ませました。




もぉさー
この辺りの事思い出すと
また子宮がうずくよぉ〜〜〜爆笑




現地で活動する期間の方が そら
ときめき度は高い(自分の夢が叶うから)
のはたしかなんだけど




でもね
その大きなチャレンジのために
試行錯誤(バイドの掛け持ちとNGO登録)
してたこの期間もまた
同じくときめき度 は高いものなのです。




同時に何度も何度も怖い と思う
感覚にも苦しめられましたが(当然)






でも、そこはもう2度と自分の夢に
嘘をつかない
本当に世界を変えられるか どうかなんか
わからなくて

そしてそれが出来なくても

それでも一点の後悔もないような
そんな旅に絶対するんだ


と決心して旅だった そんな29才
秋ごろの旅立ちでした。

これはタイのスコータイ遺跡🇹🇭


PS

こんな映画もあるよ〜