今日 とある貴重な出来事を通じて学んだこと。

それは、私は「ハンドメイド」 という言葉を
とても曖昧に使ってきた という事。
これ、かなりゆゆしき問題です。

例えば…
ハンドメイド だから (仕上がりが)緩くてもオッケー

という文脈でハンドメイドという言葉を使っていたとしてら

→そんなバカな事 あるか
→そんな甘い基準でこの1年製作&検品してきたわけじゃない
→むしろ 製品の値段や、そこから頂く手間賃に見合う(と私が判断する)クオリティのお仕事を自ら創り出すことをずっとずっと追求してきた

と全力で否定する。
そんなわけはなくて、逆に追求してきた
そのプロセスを開示(プレゼン)し
例えば手間賃の値上げにも成功したり
すれば喜ぶ事もあった。


さらには、たしかに手間暇はかかったとしても
このプロセスを経るからこそ、
一つ一つのプロセスに愛着も湧くし私だけの
ノウハウになってたり
「他にはない私を通して生み出した
手仕事だからこそ
手間賃という名の価値(対価)を創造できた」と
いうかなりニッチな達成感や(私なりの)幸福感に繋がっていく。
(別に他の人が同じ仕事をしても、製品は出来上がったかもしれないけれど、なんらかの付加価値が生み出せた というあくまで私なりの真実みたいな部分のお話です)


実際ミシンの針の落とし方や
手縫い部分の仕上がりは
作り手のスキルを色濃く出す場面でもあり
工業製品にはない、強度も生み出せたりする。

そして、さらにここから先は
受け手(ユーザー)の感覚にもよるけれど
手仕事ならではの風合いは
工場の大量生産とは一線を画すわけで
「製品から温かみを感じます」
と言ってもらえたりもする。



とは言え、です。
こんなプロセスに
幸福感を抱くか
逆に億劫感を抱くか
それも人それぞれ。
だから、ココこそは私だけの感覚かもしれないな。
私はココに幸福感を抱く人だから。

(だからこそ、ミシンスクールではそれを教え喜ばれるから楽しいのだ)

そして、長く私はこの細かくも壮大なプロセスを味わえる私だけのニッチな幸せを味わう事を自分自身に禁じてきた。
その理由は↓
(相当古い記事だけれども)

だから、私は自分のハンドメイド(お針子業)
をそう容易く手放す事はしない て決めてる。

因みにここでまた一つ言葉が出てきた。
お針子 て言葉。
この言葉を多用する理由も実はある。

これは、実は昭和の女性達の復権みたいな
意味合いで使ってます。
(益々 分かりにくくて、すみません)

要は長く「内職としてのお針子」として
一枚数円足らずという成果
(製品に対する貢献度)に見合わない報酬で
来る日も来る日もよなべしたり働いてきて
日の目を見なかった  そんな女性達が
もし今の私の働きを見たら
どんな風に思うかな、なんて想像もする。


そして、もし そんな日々に
疑問を持っている昭和前後の主婦の方が
ホントに自分の仕事に誇りを持っているのならば
ぜひその人を私はスカウトして
私の元でデビューして!て思うの。
(もぉ、何言ってるかわからんけども)

そう。
手仕事を、私は正当に評価したい。
正当 とはさっきも書いたけど
製品に対する貢献度の事。

例えば 下着一枚700円の価値があるとするなら
それを仕上げる為のお針仕事が
たったの数十円では釣り合わない という事。

そのお針仕事があったからこそ
その下着は世に生み出されたわけだし
下着が下着たりえてるわけだし。

この「釣り合わない」現象は
実は大量生産を可能にする
縫製工場でも同じ現象(正当に評価されない)
は起こっているのではないかとも
思います。

実際縫製工場に潜入した事は一度しかないけれど
製造業一般の求人広告に応募して
生産ラインを担当した時、
まさにそれを感じました。
製品としてはいくつかあるけれど
例えば建築のために使われる雨樋を作る
工場に私が務めたとして…

そこはホントにアリ地獄のような
息つく暇もないほどの過重労働が
待っていたのでした。

担当の処理を終わらせても
次から次へと
コンベアに流れてくる作りかけの製品たちは
背中を伸ばし深呼吸一つでもすれば
一気に私の目の前に溜まってしまう。
だから、場合によってはトイレに行けないし
トイレ一つ行くにしても
代理の人に工程を引き継ぎ、
お願いをし

用を足したらその人から
引き継ぎを受けてまた持ち場で処理を
続ける。

ホントに悪夢みたいな、
そんな経験をすると、
やっぱり 思う。
手仕事 てこんなもんなんだな、
結局正当に評価されないし
本気でやってもカラダ壊すし
ちーっとも儲からないじゃん て。

(縫製工場が本当にそうか どうかは
知らないから、ここの記述の正確性は
担保されていません)


一方で自分はハンドメイドが好きだけど
工業製品の方が見栄えも良いし
ブランド力もあるから
私は諦めるわ

と言って

自分が好きな手仕事を世に出すチャレンジもせず
泣く泣く諦める事を私は勧めるのか といえば
→それも 違う
→むしろ 諦めるくらいだったら、一度は世に出してみてもいいと思うよ と背中を押す。これを私は勧める。

たしかに世に出して、一つも売れなかったり、
仲間うちでも失笑される程
トンデモナイ代物を作り出す可能性も無くはない。

でも、そこも私は好物なプロセスで
販売スキルやモノの魅せ方や、提案の仕方で
売れないモノを売れるように
するそこも大好物なのは、

私が会社員時代(営業)を語ると
終わらないくらいなので
ご存知の方もいると思いますが。


はて。
さすがに1回の投稿では何を書きたいのか
わからん記事になりましたな。


えっと、ここは記事を分けるとして
ひとまずは
ハンドメイドの定義を曖昧にすべからず
という事と
実は私は手仕事の正当な評価や
売れないモノを売るモノに変えていく
魔法みたいなモノを駆使したい
人 という事。

なんだ 自己紹介みたいな記事になってしまったな。

でも たった1回でまとまるような
内容ではないのは確かだから
まとまるまでの開示ということで公開しちゃう!