世界最古と日本現存最古のアニメ―ション作品を観た | 日本アニメ視聴館  アニメ公式配信紹介

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更新

2017年8月28日 一部記述修正 動画差し替え
2018年1月2日 一部記載追加

今回は趣向を変えて、過去最古のアニメーションと
日本の現存する最古のアニメーションってどんなものか調べてみました。

アニメーションというと、セル画やデジタルアニメーションをイメージしますが
コマ録りによる複数の静止画像をあたかも動いているように見せる技術を指すので、
人形や粘土を使ったものもアニメーションに分類されています。


紹介するそれぞれ分野に分けているアニメーション作品は
現時点で現存するアニメーション映画として最古と言われています。

【世界最古の単独アニメーション作品 「哀れなピエロ」 1892年 フランス】


 

1800年代に滑らかな動きではないにしろ、アニメーションが作られていたとは驚きです。

この映像はカラーフイルムで記録されたものです。

追記:最初の公開当時は生演奏・セリフ入りのライブ形式での上映会と推測

厳密に言うとこれは映画では無くて、テアトル・オプティークという、
動画をスクリーン上に投影する装置で上映された作品です。

さすがにキャラごとにセリフが入ってはいないとはいえ、クオリティーは高い。。

これ最初見た時は誰かが最近作ったアート作品かと思いました^^;。
日本の元号で言えば明治25年とは・・。

追記:映画の輸入前の時代は写し絵という幻灯機を用いた手動で描いたキャラクターを動かす

影絵の応用的な上映が比較的小規模な興行として行われていた。

【世界最古の短編アニメーション映画…「愉快な百面相」 1906年 アメリカ】



実写部分が作品に関わるものの、アニメーションが展開されます。
当時の人は「スゲー!どうなってるのこれ!?」といった感じで見てたのでしょうね。

当時の技術としては高価なカメラ機材が必要でしたので、今のように誰でも制作ができるというわけではありませんでした。


【世界最初の短編アニメーション映画…「ファンタスマゴリー」 1908年 フランス】



フランスの画家、エミール・コール氏が作った短編映画。
アニメ―ション映画作品として世界最古と言われています。

前の座席に座った婦人の髪飾りを引っこ抜くシーンでそのアクションを行う
キャラがこちらに顔を向けて何やらアピールするような表情が

近代アニメ―ションの出現時から確認できます。


日本で現存するアニメーション短編映画は2007年に発見されました。

【日本で現存する最古の短編アニメーション映画…「なまくら刀」 1917年 大正6年】
詳細 ・動画視聴コチラ(日本アニメーション映画クラシックス)

漫画家・アニメーション作家の下川凹天(へこてん・おうてん)が制作したアニメ映画。
黎明期の初めから漫画家とアニメーションのつながりがあったというのも発見。

この時代はセル画方式は存在せず、『なまくら刀』では、切り絵で動かす箇所のパーツを組み合わせたり

しながらフイルムに撮影し制作されたといわれています。

それにしても、当時からアクションの動作、蹴られた時に飛び出す☆の描写等々、当時としてはかなり斬新と思える表現が行われていた事には驚くばかりです。
キャラの表情で物語を伝える点も、
当時から表現の豊かさを感じずにはいられないです。

厳密に言うと日本最古のアニメーション映画は1917年1月、下川凹天による
「凸坊新画帖、芋助猪狩の巻」で、二番目は同年2月、下川による「芋川椋三玄関番の巻」の説が現時点では有力説となっています。

作家として2番目は同年5月封切 北山清太郎制作「猿蟹合戦」ですが、

残念ながら、ともに現存せず、見られないです。

「塙凹内名刀之巻=なまくら刀」の封切公開は1917年6月30日なので作家順でいえば3番目ですが
この3作が日本最初のアニメーション作品という扱いとして知られています。
 

 

また、この当時はアニメーションという言葉は使用せず、動画もしくは漫画映画と呼ばれていました。

国内でアニメ―ションという言葉が公に示されたのは昭和35年アニメーション作家 久里洋二・柳原良平・真鍋博が立ち上げた「アニメ―ション三人の会」が発足したことが最初期ではないかと思われます。

また、同年頃の新聞ラジオ番組欄に放送用語として「アニメ―ション」が使用されはじめたとのこと。※

※「日本アニメーション映画史」参照

 

なお、アニメに関しては史上初のシリーズTVアニメ「鉄腕アトム」を制作した手塚治虫が自身のアニメ作品をディズニーのアニメーション作品と異なる制作手法(リミテッドアニメーション・徹底した簡略描写化・バンクシステムの構築など)から、「アニメ」と発言したことが最初とのエピソードがあります。

 

これは個人的な推測ですが、「まんが映画」という言葉が使われなくなった要因の一つに大友克洋監督作品映画「AKIRA」が大きく影響したのではないかとみています。完全に大人向きで、フルアニメーションも採用し、海外や国内のアニメは子供が観るものの概念を打ち砕いた功績も大きかったでした。その後、海外では「攻殻機動隊」や「EXTRA」の影響も加わり、「ジャパニメーション」という言葉が生まれています。

 


…と、なんだかとても渋い内容となってしまいました^^;。

まさにアニメーションの古典ともいうべき世界でした。
また、その後の発展を書いてゆければと思います。※その後、いろいろ調べて年表に仕上げました。
コチラ(日本のアニメーション歴史年表 その1)


※調査当初の記事内容でしたので一部記載修正しました。

読んでいただき、ありがとうございました。ではまた。