昨日で6年間の授業が終わった。




今日はお嬢の卒業式。





アラフィフOLカウンセラー
ごぉきょうこです。

(今回も長文ですw)

ちょうど連絡帳もピッタリ終わったらしい爆笑





それは、感慨深い6年間で
最初の頃の私たち母娘は
毎日、満身創痍だった。





入学の半年前、
保育園年長の終盤。





約2年のウツ休職を経て
このまま退職するか?
何がなんでも復帰するか?
二つに一つのうち
後者を選択した私に




「娘が一年生になるんだからちょうどいい。
学童にやらないで
仕事を辞めて家にいてあげなさい」と
私の心身も心配して言ったであろう母に



「いつも私のやろうとすることを
応援もせずに反対ばっかりするっ!」
と、逆上して泣き喚いた。



あのときの
母の希少な驚愕した顔は
今でも思い出せる。






40歳過ぎて初めて
半笑いや無関心で母の苦言を流さず
面と向かって自分のホンネを言い放ち、
何かと見下しては批判的な母に反抗した。
そんな怒りが自分にあったのかと
自分で驚いた瞬間でもだった。





今なら分かるがあれは
母なりの愛あるアドバイスだったし、
お金が無くなる不安から
夫に頼ることなく
心身に鞭打って働く方を選んだ
当時いっぱいいっぱいだった私の
不安のなせる選択だった。






その結果、
通勤するのもやっとで仕事に復帰したものの
心身共に万全じゃないまま迎えた
お嬢の入学式。



ひとりっ子のお嬢も
不安定で不安を感じたのか
私と離れることができず大泣きして
担任が無理やり引き離して…
小学校生活がスタートしたのだ。





そして、
毎日じっと座って
先生の話を聞く慣れない日々に
早々に嫌気がさしたようで
「保育園に戻って遊びたい」と
登校を渋り出した。



私は、お嬢が不登校になって
仕事を辞めなければならないことを
いちばん恐れた。





集団登校がないため、
通学路沿いの我が家の前を通る
年上の姪っ子に頼んで
迎えに寄ってもらう毎日。





しかし
姪っ子を玄関で待たせたまま
ゆったりマイペースに着替えたり
のんびりTV見ながら
朝ごはんを食べたりするお嬢に
こちらがイライラして、
叱りつけ、急き立て
姪っ子に謝りながら
二人をクルマに乗せ
学校まで送ってから仕事に行った。






姪っ子を毎朝待たせることに
私の方が罪悪感が湧いて
先に行ってもらうこにしたものの
それからは
一人では登校しようとしない
お嬢に腹が立ち





毎朝、毎朝、毎朝、
布団から出ないお嬢を引き摺り出し
休みたいとぐずるお嬢を抱き起こし
煽てて、宥めて、脅かして、褒めて…
追い立てるように送り出していた。





あるときは
大荒れの天気の中、
ひとりで行くのが怖いと
半泣きで戻って来たお嬢を
「ママはもう仕事行くんだから
嫌でも早く行きなよっ!」と、
般若の形相で怒鳴って家から追い出し




出勤して落ち着いてみたら、
暴風雨の中
泣きながら歩いて行った
大きなランドセルを背負った
一年生のお嬢の後ろ姿が思い浮かんで
急にかわいそうに思えて
泣けて仕方なかったりもした。





毎朝、
自分の出勤準備をして
仕事に行く気持ちに向かうだけで
いっぱいいっぱいの精神状態の中で、
登校を渋るお嬢をどうにかして
学校まで送り届ける孤独なミッションに
朝が来るのが苦痛で仕方なかった。




思い余って
入学後早々の一学期に
スクールカウンセラーに相談した。





登校を渋っていても
学校に来たら
楽しそうに過ごしているから
大丈夫。



学校に来れるなら
毎日クルマで送ってくれてもいいし
遅刻でも構わない
休みたいなら休ませてもいい。



慣れない環境に
彼女なりに馴染もうと
頑張って我慢していることも
たくさんあるから
家では思いっきり
甘えさせてやってほしい。




そうアドバイスをくれた
スクールカウンセラーが最後に
「本人も頑張っているけれど、
お母さんもよく頑張ってますね。
お母さんの愛情は伝わってますから
もっと手を抜いてお母さんも
ゆっくりしてください。」
と声をかけられたときには
涙が止まらなかった。






仕事もちゃんと復帰してやらなくちゃ!
以前のようにお金も稼がなきゃ!
学校行事も自分が休んで行かなきゃ!
夫に迷惑かけないようにしなくちゃ!
家事もちゃんとやらなくちゃ!




ちゃんと、学校に行かせなきゃ!
ちゃんとしたご飯も食べさせなくちゃ!
ひとりっ子だから
たくさんの人との縁を増やしてあげなくちゃ!
私がいなくなっても大丈夫なように
早めに自立させなくちゃ!!!




復職しても
ウツの後遺症で夢見が悪く
朝が来るのに苦しんで
自分のいなくなった世界で育つお嬢を
たひだび妄想した。






もし、たとえそうなったとしても
彼女が人に恵まれ
幸せを感じて暮らせるようにと
願っていたこの頃は
私がそばにいる間に
出来るだけのことはしておこうと
それを基準に行動していた。




愛情ゆえの思いは強いのに
それを願うほどに
時間も気持ちも
ゆとりもなくなっていた。。。





どうしても学校に行きたくないと
駄々を捏ねるお嬢を叱り飛ばして
引きずって車に乗せて学校に送り届け




その足で
遅刻しそうになりながら
なんとか仕事行って
難なく時間までに終わることを
祈りながら仕事をして
終わってたら
夕飯の買い物をして
学童に迎えに行って
夕飯作って一緒に食べて
お嬢を連れて
ずっとやってる社会活動に参加し




帰宅したら、
宿題と翌日の準備をチェックして
一緒にお風呂入って
布団に潜り絵本読んで寝かしつけて…から
自分の時間作ってホッとする、
つもりが
先に寝てしまったり。。。






夫に相談することはあっても
仕事の都合で朝は不在の夫が
登校準備の戦力になることは無く
常にワンオペ登校準備の朝が続き、
夜も半月は不在なので
やはりほぼ孤軍奮闘で
母娘だけの生活。





ときどきお嬢は
学童にも行きたくない周期がやって来て
誰にも言わずにまっすぐ帰宅し
でもウチの鍵がないから
近所の従姉妹の家に
上がり込んでいたこともあった。





「ママ。今日ね、◯◯ちゃん(自分のこと)
どうしても学童に行きたくなかったの♪」
と妹からの電話で話すお嬢に
「何を勝手なことして!!むかっ」と
はじめての日は怒りが湧いたけれど




お嬢は7歳ながら、
次々と迷わず
〝自分がやりたいと思ったとおりに
迷わず行動する〟
というシンプルな生き方を
私に教えてくれていた。




大人になると
忖度や損得や見栄やしがらみなどで
やらずに誤魔化してしまいがちで
心の奥底に隠してしまいがちな
自分が自分を幸せにする、
その叶え方を。






イヤでもやらねばならないことは
どうにかしても頑張ってやるマンだった
私が




能力や経験が足りない部分は
頑張って努力と自己研鑽で補ってきた
私が




イヤなこともやれば
最後は自分の益になるのだからと
すぐに良い面を探して気持ちを切り替え
自分を誤魔化すのが得意になっている
私が、




お嬢の姿を通して
自分もまた
仕事や役割で
イヤなことはイヤと伝え
出来ないことはできないと伝え
ひとりで頑張らずに
お手上げにして
見栄やプライドを捨て
周りの助力を求めて
完璧を目指さなくなって
ミスも連発するようになってw
少しずつ独りよがりの鎧を
脱いで行ったら・・・




もともとしっかり者ではなく
ぼんやりしていて
うっかりミス魔のポンコツで
一つのことに全力投球だから
単焦点の周りピンボケで
妄想世界を楽しんでる厨二病で
他人のやることにほんとは興味ない
私が
蘇って出現してきた(笑)







お嬢が不登校でも私は別に困らない。
それは彼女の選んだ人生の選択肢のひとつ。
親子と言えど歩む人生の選択肢の
捉え方は異なる。
経験値からアドバイスできることはあっても
選ぶのは本人。





という境地なって、 




お嬢が元気に
「今日は休みたいから休んで、
明日は行く!」
と、自己調整を始めても




「宿題出来てないから宿題してから行く」
と言っても




「寝坊したけどシャワー浴びてから行く」
と言っても




「眠くて起きれないから
ゆっくりして給食までに登校する」と
布団から出なくても




私はそのまま
学校に電話して
いつも電話番の教頭先生に伝えた。


  


あるときは
私と同世代の熱血優等生な担任から
通勤中に電話があり、
「休み明けに休んだら不登校になる!
迎えに行くから
準備して玄関で待つように
と伝えて欲しい」
と言われたが、




「以前から、本人が自分で
メンタル調整しながら過ごしています。
明日は行くと決めているので
今日は休ませます」
と伝えると担任は驚いて絶句したが
明日来るなら…と
引き下がってくれた。




親が自分の価値観だけで
子供の世界を進めようとせず
子供の言い分を聞いて
そうかと任せてしまえば
案外、そう大ごとにはならないんだな、
と感じた。






一方で、
給食に間に合うよう11時過ぎに
平気で一人で登校できるお嬢の
肝の座りっぷりに感心した。




5年生になってからは
遅刻して行くつもりなら
自分で直接、学校に電話させるようにした。
自分で伝えさせようと。




嫌も恥ずかしいもなく
「今起きたからシャワー浴びてから
9時半頃遅刻して行く」と電話する
その堂々っぷりに




親子と言えど
持ってる前提や文化が違うことを
認めざるを得なかった。





 …かと思えば、
遠足など楽しい行事のときは
早々に準備して
いつもより早起きし
浮かれながら登校して行ったときは
子供らしくて微笑ましかった。







不思議なもので
いや、親子関係の心理学的には
当たり前なのかも知れないが、





そうやって
ママである私が
お嬢の決めたことを受け入れて
やりたいようにやらせるようにし
彼女の世界観を見守るようにしたら
どんどん私自身もラクになった。






お嬢は
自分で決めたことはやるし
言われなくてもやるし
言われたら余計やる気無くすし(笑)




私が手を出さなかった余白分は
自分で考えて
自分で決めて
自力で望みを叶えて
満足しながら過ごしている。





卒業まで続くかもしれないと思った
毎朝クルマで送るために
出勤準備を早める面倒くささは、
母娘の触れ合いの時間と思うことにして
通勤とは逆方向ながら
毎日送り届けてきたけれど




5年生になってからは
自分で目覚ましかけて起きて準備して
朝ごはんを自分で研究して
料亭のようなだし巻き玉子を作って食べて
私が布団から出ないうちに
登校準備が終わるようになっていた。




その後は、
たまには『調整休暇』や
『気分遅刻』もあったけれど
それを私が当たり前に良しとしたことで
お嬢もラクになったんだろう。




「学校は嫌じゃないけれど
登校するのがめんどくさい」
「家がいちばん好き」
と言うお嬢は私と同じ。



学校に行きたがらないのは
学校やお嬢に問題があるわけではなく
単なる優先順位の違いだけなのだ。

 


私が、頑張り過ぎて
「今日は休みたいけど…
仕事行かなきゃ…!!」と
メンタルが追いつかなくなってくると
決まって
お嬢が学校を休んでくれる(笑)





そんなときは
子供の看病休暇を使って一緒に休んで
(給料減るけどそれでもいい!)
ゴロゴロしてのんびり過ごし
英気を養ってまた
私もお邪魔も社会に躍り出る。





そんなふうに
自分の気持ちに正直に生きることを
お嬢はこの6年をかけて身をもって
優等生な子どものまま
大人になったら私に
自分のありのままでいいよと
伝え続けてくれたんだと思う。






少しずつ私自身も
ひとりで頑張ることを辞めて、
 家庭訪問や夏休みの親子草取りなどの
学校行事は夫に任せるようにして
運動会など私が行きたいイベントだけ
参加するようにしたら
担任の顔を知らないまま
過ぎた学年も出来た(笑)




一度はやらなければならない
学級役員や子供会役員をやっても
ひとりもママ友が出来ず
誰の顔も名前も覚えられなかったし




ましてや
お嬢が学校でどんなふうに過ごしているのか
私の方から尋ねることはなく、
私とは別の世界で過ごしてるお嬢を
わざわざ全部知ろうとせずに
家で一緒に過ごすお嬢しか
知らないままでいたけれど




それはそれで良かったのかもしれない。
そんなふうにいつの間にか
心理的にも線引きが出来ていた。





最小限ながら
学校や友達との世界を
お嬢は伝えたいことだけ
私に伝えてくれていた。




そういえば、お嬢は
「◯◯ちゃん自分で分かってるから、
ママは(あーしてとかこうしてとか)
何も言わなくてもいいの❗️」



「◯◯ちゃんが甘えたい時に
ギュッてしてくれたらいいだけ❣️」
と私の存在意義を
年長児の頃から
端的に明確に伝えてくれていた😆





やっと
最近になって
「フツーお母さんは子供より早く起きて
朝ごはんを作るんやで!」と
よその常識を言い出しw
指摘するようになってきた…!





「卒業式の朝は、
味噌汁とご飯と卵焼きを作って欲しい」
とリクエストされたので





小学生最後の今日。
今から起きて
数年ぶりに
朝食を作ってみようと思う🍚





お嬢、卒業おめでとう㊗️
ありがとう💖







おかげで
昔から興味のあった
人と人の幸せな繋がりや
幸せで豊かな人の心の仕組みを知る
心理カウンセリングに
出会えたのかもしれない。





今日は
過去の私を縛ってきた
固定概念からの
私の卒業式も兼ねてるかもね☺️





親子であっても
感情や経験すべてを
共有することは出来ない。




子どもの感情は子どものもの。




子どもの様子を見て
ママである〝わたし〟が
反応したもの。





そこに、〝わたし〟のお宝がある。





「子育ては自分育て」と言われるのは、
子供の頃に置き去りにした
〝わたし〟の感情を呼び戻し
リセット出来るチャンスがあるから。




おかげで、どんどん
フラットになっていく✨











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