
夜空に輝く無数の星。
その中には、
今この瞬間を見せているものは一つもない。
そこにあるのは過去だけだから。
一つの星を定めてその上下左右の星を見るとき、
同じ時間軸に発した光はないだろう。
地球の今を基礎として、
幾層もの時間が今ここにある。
始めから今に至る時間は間違いなくあり、
全てのモノがあらゆる時間を平等に共有している。
光速の限界(相対性理論の限界)のため、
未来は不可視で、存在しないように思える。
もし虚数の素粒子があり、
それを見ることができるなら、
未来も今ここにあることができる。
俺は、虚数の素粒子はあると思っている。
物質と反物質の様に、
宇宙の基本は対になっていると思うから。
反物質を物質が凌駕したように、
虚数の素粒子は素粒子に凌駕された。
同じ次元で決して交わることのないように、
別次元に遷移したと考えるといいかもしれない。
あらゆるモノは生きようとする。
生き残るために、目につかない場所に潜伏する。
俺たちが見ている世界はありのままの世界ではなく、
俺たちが望む形で見えている。
人は本能的に未来を見たくないと望んでいる。
未来は必ず死に至る。
また、絶望的未来が見えてしまったら、
生きることをやめるだろう。
そこで見えている未来との相違ができ、
世界が破綻してしまう。
あらゆるモノは生きようとするから、
世界が生きるために、
知性ある生命に未来が見えないように
虚数の素粒子を別次元に封印した。
未来を知ることはできないから、
未来は決まっているのだと思う。
過去や今がどんな状況でも、
それは自分が望んで選択した結果の世界で、
それぞれの段階の成長度や環境や
考え方の変化に至るまで、
全てそうなるべくしてなっている。
言い訳はできない。過去がそれを証明している。
量子の世界では、量子を観測した瞬間に過去が決まる。
もしかしたら、
俺たちも死の瞬間に決定した過去を
生きているのかもしれない。
俺たちも突き詰めれば量子だから全否定はできない。
つまり、
今から死ぬまでの未来が既に決定していたとしても
不思議ではない。
これで、頑張っても何も変わらないと思って
適当に生きたとしても、それすら既に定められたこと。
その人はそれまでの人でしかない。
頑張って幸せになろうとすることも、
既に定められたこと。
未来を知ることはできないのだから、
決まっていても不都合はない。
ここで努力すると決意したから
素晴らしい人生になった。ということかもしれない。
過去を回顧し、
過去の出来事を評価することがあるなら、
今の決意が大事なのは容易にわかるだろう。
今にしか生きられないのだから、
今を精一杯に生きて、素晴らしい人生の原因を作り、
死の瞬間に大満足するのが懸命だろう。
死の瞬間に後悔するなら、今を蔑ろにしたからだ。
死の瞬間というポイントに大満足するか、
後悔するかで過去の意味が変わる。
こう言うと、量子論的に
死の観測の瞬間に人生が決まるということが身近になるだろうか?
性格、教養、知恵、環境といった要因の相互作用で
過去も今も未来もなるようになる。望んだようになる。
これは絶対の原則だろう。
今何を選択するかも、これらの要因で
不可避的に既に決定していると言って差し支えない。
何度でも繰り返す。
未来は既に決定している。
努力も怠惰も変化も決定している。
どんなに抗っても。
130億光年の彼方の星の
今の姿は見られないにも関わらず、
ノータイムで1億光年ずつ近付いた地点から
連続的に観測できるとしたら、
今見えている光の未来を知ることができる。
今見えている過去の光の今という未来は決まっている。
今を生きる俺たちの未来だけは決まっていないという
不平等、不均衡はないだろう。
オリオン座のベテルギウスが超新星爆発間近だという。
もし今爆発しているなら、
未来にその光が地球に届くのは
既に決定したことになる。
視点は違うが、
未来はいつでも既に決定していることを
示唆していると思う。