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マイライフ

毎日の生活で経験したこと、学習したことを投稿したいと思います。

 数日前に投稿しましたが、広島に行き原爆資料館を見学しました。以前も行ったことがありますが、何度行っても新たに勉強になることばかりです。今回、見学して勉強になったことについて触れたいと思います。

 ドイツが原爆の研究を開始したという情報が流れ、アメリカに多くの科学者が、またドイツから亡命したユダヤ人も集まり研究が始まった、これがマンハッタン計画だということです。

 その後、ドイツはソ連を攻撃するも寒さや雪の影響で敗北、アメリカからの施設攻撃を受け、ヒトラーも自殺。(45年4月)一か月たった5月にドイツは無条件降伏しました。

 ドイツ降伏に伴い、マンハッタン計画は当初の目的が失ったようです。

1941年に始まった太平洋戦争で、真珠湾奇襲から始まったものの、日本は不利な体勢になり、武器や弾薬も不足していったそうです。当時日ソ中立条約をソ連との間で結んでいてソ連に援助を求める形で日本の方向性を示したのがアメリカに知られてしまい、アメリカ側としても原爆投下に賛否両論あったようですが、日本に対して温情をかけたくなかったのでしょうか。

 それがポツダム宣言に表れているのではないかと思います。日本が不利な条約のため日本が受諾しなかったと思われます。

 この年の4月12日フランクリン・ルーズベルト大統領が急死したというのも初めて知りました。

アメリカとしては原爆製作に莫大な費用をかけてきたわけのなので、製作に対する正当性を国民に示さなくてはならなかった。

 また原爆投下の3つの理由として

1.ソ連より優位に立ちたかった

2.原爆の威力を試したかった

3.日本を早く降伏させたかった

 以上の理由からだそうです。

日本では戦時中、震災などの被害があっても報道できないことになっていたみたいです。なぜなら外国に知られると不利になるからです。

 原爆投下後、学校では校舎崩壊のため、青空教室と呼ばれる外で授業をするというのも珍しくなかったようです。

 戦後6年くらいはプレスコードという原爆被害についての報道が規制されていて全容が明らかにされてなかった。明らかにすることが許されなかったようです。

ABCCという団体では、病気の研究のみで治療は行わなかったようです。

10年たち、治療のために渡米できたひとがいて、被爆者医療前進の一つになれたようです。

昭和32年(1957年)に原爆医療法が施行されたようです。

 戦争責任を自覚している国としていない国との間で、いくら唯一の被爆国といっても、核兵器がもたらす被害について訴えても、自分たちが戦争をしなければとか、自分でまいた種ではないかという扱いをうけるみたいですね。

 外国の歴史の教科書には当然、日本から被害を受けた国が日本に対することをいいようには書いてないわけです。なので海外から見た日本。自国の犠牲者だけでなく他国の犠牲者にも視点を向ける。

 原爆を開発した科学者・博士は原爆に対して罪を感じていないといいます。なぜかというと真珠湾攻撃で大きな打撃を受けたと。

 これからは外国の被害者にも視点を向けないと唯一の被爆国として語るのに限界があるという声をききます。

 資料館近くに慰霊碑があります。なんて書かれているかというと「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」とあります。しかしながら今世界では核保有国があり、核保有国にはテロなどでも攻撃の対象にはなっていません。

 いまでも、原爆投下で加害国には正当性があり、被爆国との間にうまらない溝があるようです。

今回、見学して外国人観光客が目立ちました。やはり厳島神社と合わせて世界遺産だからですかね。

近年外国人留学生も広島には増えているようです。

今回の参考文献は資料館で買いました。

「ヒロシマ、 あの時、原爆投下は止められた」

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%81%82

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