「あいつは顔だけじゃねぇな」と言われるまで1人虚しくロケンロールし続ける白のブログ
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他人との同調


それは世渡りするにあたり重要な事で

流れに沿うとは逆らわぬ事。


逆らわないとゆうことは敵を作らない事

敵はいない方がいい。生きやすい。


人を1つの有機物として考えれば

好き嫌いを問わず生殖行為をし

代を広げていく。神の御前の代の繁栄。


生殖行為における快感は

好き嫌いを埋め合わす為の

感覚だと私は思う。




他人と同調をし、共に生き共に死ぬ。

敵を作らぬ以上争いも起きない。 

なんと楽な、なんと幸せなことか。



しかしそこに個性はない。




個性とは何か。





主張、争い、孤立、自由、





主張とは
主流から個性が枝分かれし、
主流の流れを変えようとする状況





争いとは
その個性が主流から認められず
尚もその個性は消えず
主流とまたぶつかり濁流となった状況




 
孤立とは
主流から枝分かれした流れがか細く
やがて後続きする水も耐え
陽の光により乾くのを待つだけになった
いわば水溜り





自由とは。
主流から離れ、争いや孤立のリスクのある上で
己が主張を正しいと思い枝分かれした状況

本当にその主張が正しければその枝分かれの主張は
太く強い本流、新たな主流となる。

それが自由の最終形態でありその時点で自由ではない。

あくまで枝分かれしたその一瞬のみ

その一瞬が自由なのだ。個性とは主流の進化前。


考えることが出来る生命だからこその空想的な流れ



一本の木に個性があるだろうか。いやない。

形の違いも「なるべくしてなった」のだ。

木や虫に「気分」などがあったとしたら

それはもう木や虫を超えた新たな生物だろう。


動物においてはグレーゾーンである。

ただ人間と違うのは意思疎通の確実さ
なぜ人は意思疎通がここまで出来るのか

それが個性と言うのならば意思は

先ほど記した争いや孤立の種となるのに

なぜその能力に恵まれたのか。





おそらくその個性こそ

尊い地球の生命サイクル上の

主流だからではないだろうか




争って当然、孤立して当然

流れが存在する理由とは

そうしてこその生命サイクルのバランスを

神がとろうとしているからではないだろうか。



となれば個性はもっと自由であり

開放的に躍動するべきなのである。



生死の恐怖のみ唯一神とし

個性を、己を信じ生きてこそ

有機物の人間らしいのだと思う。




生死の恐怖の唯一神と書いたが

何を生かし何を殺すかも個性である。

たとえばそれが会社、

たとえばそれがバンドだろうと。

それが1つの集合体で共存生命ならば。



その存在は前に書いた生命サイクルにおいて

個体の概念から外れているので

逆らっているパターンになる。




しかしそれを生かそう、生かしたいと思う思考

それこそが結果、個性につながる。

強い個性を持つことが人間として
生命としての喜びなのだと思う。





強い個性はやがて強い別の個性とぶつかりあい

殺しあう。そこで+-が生まれ

初めてそこで生命個数の正しい均等がとられる。



個性は罪ではない。

孤立することを恐れるな。

叶わぬ平和を望み、争いを起こせ。

それで良い。

死んでこそ本望。

殺しあえばいいじゃないか。

潰し合えばいいじゃないか。

己を信じる事

それは生命サイクル上で幸せな事なのだから








と自分に言い聞かせたくなったので
文に起こした。

やってらんねぇよな。

間違ったことを
間違ってると言えない
こんな時代

腐ってる。一度滅べばいい。