人生を変える決断その4 | 終活オヤジの独り言

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今日も、誰にも何の役にも立たない、どうでもいい様な事をつぶやきます。
もし、お気に障った事がありましたら年寄りの言う事なのでお許し頂きたいと思います。

人生は、決断の連続です

 

毎日、何をするにも決断を伴うのです

 

日常に伴う決断でも、その時の判断が後に自分の人生を左右

する事になる場合も有るのです

 

そして、自分自身の考えで人生の岐路となる決断をする事も

多々あるのです

 

私にも有りました

 

 

決断その4

会社を辞めて先輩と家電サービスの仕事をする

 

音響メーカーの仕事は楽しかった

 

電気店やお客さん宅へ訪問して、テレビや音響製品の設置・

修理など、色々な経験をさせて貰いました

 

そんな、音響メーカーに勤めて4年目

 

職場の先輩が独立する時に、一緒にやらないか、と声を掛け

て貰ったのです

 

それまで、それ程親しくお付き合いがあったわけでは無かっ

たのですが、声を掛けられた事が嬉しかった私はあまり深く

考えもせずにOKしました

 

それで、先輩と一緒に会社を辞めたのでした

 

先輩がする家電サービスの仕事は、当初は店舗を持たずに家

電製品の修理を行う、と言うことでした

 

拠点は、先輩の奥さんの実家がある函館でした

 

そして私は、函館市内にアパートを借りました

 

そこから、先輩の住んでいる奥さんの実家まで通いました

 

夕食は先輩の所で食べさせて貰いました

 

仕事は、函館市内の電気店の家電修理の下請けと、実家近く

の各家庭に修理依頼のチラシを配っての依頼待ちです

 

仕事は、私を食べさせるだけの量は有りませんでした

 

それが分かるので、給料を請求する事は出来ないのです

 

当初は、失業保険で暮らしていましたが他に収入を得ないと

アパート代も支払えなくなりそうなので、アルバイトをする

事にしたのです

 

仕事に差し支えない時間帯は、朝しかないので毎日早朝に牛

乳配達をする事にしました

 

自転車で牛乳配達をするのですが、雨の日や余り雪が降らな

い函館でも冬の配達は厳しかったですね

 

修理の仕事は日曜日は休みですが、牛乳配達に休みは有りま

せんし、日曜日には集金もしました

 

牛乳配達の仕事は、先輩の所を辞めるまで続けました

 

私が、勝手に描いていた家電サービスの仕事とはかけ離れた

結果になって行きました

 

半年以上経っても仕事は、いっこうに増えて行く兆しがみら

れませんでした

 

ですから、私は仕事の無い日が多くありました

 

つまり、先輩ひとりで仕事はこなせるのです

 

結局、私は1年も持たないで先輩のところを辞めることにし

たのです

 

1年の間に、音響メーカーの会社を辞める決断と先輩の所を

辞める、という大きな決断を2度したのでした

 

人生は、経験の積み重ねです