時々、東大生の親は高年収、というニュースが話題になる。
「金持ち家庭でないと難関大学に行けないのは、生まれながらにして不公平だ」
という世論に持って行きたいのだろうか。
だけど、統計は恣意的に使われることも多い。
論理学的に、「東大生の育った家庭の多くは高収入」という事実から
「高収入の家庭でないと東大に入学できない」と言い切ることはできない。
「東大生の育った家庭の過半数は関東圏」とか
「東大合格者の過半数は予備校や進学塾を利用」という事実があっても、
非関東圏在住者や塾に行っていない人が東大に行くことも少なくない。
年収が高い家庭でないと難関大学に行くことが難しいとは言えない。
実際、私の知人にも、平凡な家庭から塾にも行かず公立高校を経て旧帝大に進んだ人は少なくない。
ただ、年収の多少や通塾の有無に関わりなく、
教育について意識的でない家庭から難関大学に進む子どもは少ないだろう。
年収が高い家庭のほうが、教育について意識的な場合が多いかもしれない。
マスコミは、自分たちや大手広告主にとって都合のわるい事実をみずから宣伝しない。
そもそも、都合がわるくなりそうな統計をとることすら避ける。
大学生を対象に、「1日にテレビを見る時間」「1日にゲームをする時間」を調査してみたらどうだろう。
世帯収入の多少に関係なく、テレビやゲームに関わる時間が短い家庭では高学歴者が多く、
テレビやゲームに関わる時間が長い家庭では高学歴者が少ない、という結果になる可能性が高い。
その結果を見て、「テレビを見たりゲームをやったりしていたら難関大学に行けない」
「裕福ではなくてもテレビやゲームを控えるなど、自分を律する生活をすれば難関大学に行ける」
「若者がゲームに興じるのは時間の無駄」
などという世論に持って行こうとは思わないのだろうか。
思わないだろうなぁ。ゲーム会社が広告料を払ってくれなくなると、マスコミには痛い。
心の中では、「ゲームなんて時間の浪費」「金融業者でお金を借りたりしていてはだめ」
「都市部で車は不要」「高い生命保険はぼったくり」「ボジョレーヌーボーは安酒」などと
思っていても、広告主のご機嫌を損ねないように行動して収入を得、一般市民の利益は無視する。
マスコミが目をつむっていることについて、意識的になったほうが、だまされなくて済む。
話は変わるが、私の知る限り、東大京大や慶應に行っても、裕福な家庭出身者と、
そうでもない家庭出身者では、就職先に差があるように感じる。
案外、「裕福でなくても志があれば難関大に進むことは難しくない。でも人脈も関係しているのか
就職する時は裕福な家庭出身者のほうが有利な場合が多い」という傾向があるのではないだろうか。
大手マスコミにちょっと分析してもらいたいものだ。