昨日、三軒茶屋のブックオフに立ち寄った。
いつものように105円均一コーナーで何かめぼしいものはないかと見ていた。
古本屋で、歌集とか句集のコーナーというのは寒々しい。
いかにも「自費出版で作りました、人に進呈したけどすぐ古本屋に送られてしまいました」というような印象を受ける。
タイトルを見ても、センスがいいと感じるものは少ない。
同人誌的なタイトルを目にすると、内容のレベルもだいたい想像がつく、と言うと失礼か。すみません。
そんな中で、「ヴェネチアの海」というタイトルの歌集を見つけた。
これまたベタな、と思いながら昨年訪れた彼の地をなつかしく思い手に取った。
ぺらぺらとページをめくってみたら、なんということだ。
あきらかに、レベルが高い。安易ではない。バランスがとれている。
これは、珍しい俳句的な短歌と言うことができる。
情緒よりも構造のバランスが全面に出ている。
なかなか情緒や雰囲気でごまかさない短歌はできるものではない。
この短詩は、その語句の示す構造が見事な調和、バランスを示している。
ごまかしていない。無駄がない。
最初の歌はこれだ。
夢のあとうたいたる碑の文字のうえ楡の若葉の薄あさぎ降る
簡単に構造を読み解こう。
基本的に、「夢のあとうたいたる碑の文字のうえ」と
「楡の若葉の薄あさぎ降る」から成り立っている。
このように言えるだろうか。
「石碑には立派な過去の業績が高らかに記されている。
盛んであったものが今や幻のように静かな状態だ。
石碑の上には日に照らされた若葉が透かされ、光が降ってきている。
きらきらと光る若葉もまた過去の栄光のようになんの圧力もない状態だ」
「夢のあとうたいたる碑の文字のうえ楡の若葉の薄あさぎ降る」を
もう少し細かく分解してみよう。
「夢のあと」→過ぎ去ったもの。リアルであったがまぼろしとなったもの。
「うたいける」→功績や業績などを高らかに記録している。
「碑の文字のうえ」→不動の、直立する記録の上、覆うもの。
「楡の若葉の」→若々しく勢いがあり軽やかであるもの。
「薄あさぎ振る」→木々の淡い色が振ってくる、石碑の文字に重なる。
もっと分解すると、ほんとうに方向性だとか、プラスマイナス、軽重、拡大縮小、濃淡、などといった単純な構成要素を説明することになる。
ほんとうにすばらしい短詩は、この構成要素によるバランス、調和が見事なのだ。
俳句や短歌といった短い詩に興味のある人は、ぜひその句や歌の秘めた構造のバランスに注目してほしい。
芸術とは、そもそもバランス、調和がすべてなのだ。
私はそう思っている。
構造を読み取れない人が、「いい」とか「趣がある」とか表現力のない解釈を行う。
調和とは何か、ということを自分なりに考えたことのある人間であれば、俳句や短歌を学んだことがなくても、ある程度のレベルの短詩を作ることができる。
角倉羊子さんの歌集を手に取った後、もしかしてこんなにレベルの高い詩心が他の句集や句集にも潜んでいるのかなと思っていくつかの歌集や句集を見たけど、やはり多くが新聞の俳句欄短歌欄並みの、構造無視の雰囲気情緒レベルだった。
ネットで検索してもあまり情報が出てこないんだけど、この角倉羊子さんは詩人、歌人としてけっこうレベルの高い人ではないかと思う。
気になる。どういう方なんだろう。
私は基本的にオルタナティブ俳句ロック志向で、歌謡曲的短歌情緒にはあまり関心がない。
短歌関係の編集に携わっている知り合いに、
「俳句っていうのはロック。構造が大事。短歌行っていうのは歌謡曲。情緒に流されている。短歌なんかいくらでも作れるけど、ひらめきが必要な俳句はなかなかできない」
などと言うと、短歌をばかにしているんじゃないかと言って怒られる。
だけど、今回、短歌を少し見直した。こういう短歌もありえるんだと知った。
勉強になりました。ありがとうございます。