自家用野菜には農薬を使わない | ambiguouswordsのブログ

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私の実家は兼業農家なので、多少の米を出荷している。
同時に、大根、ジャガイモ、ネギ、ナス、ニンジン、ホウレン草、トマト、キュウリ、カリフラワー、オクラ、はたまたウドやシイタケやユズやスダチやイチゴ等々も自給分以上に作っている。
ただ、野菜や果物は出荷することなく、自宅で消費したり近所に配ったりするだけだ。

幼い頃は母親が汲み取り式のトイレから醗酵が進んだ人肥を汲み出し天秤棒で桶を運び、畑の畝(うね)の真ん中につくった溝に流し込んでいた。
風呂の湯を沸かした薪(まき)の灰や、庭の木の枝を燃やした炭も肥料になった。
新鮮な野菜を食べさせてくれた両親に感謝している。
3人兄弟はアトピーや喘息や食品アレルギーなどと無縁で、健康に育つことができた。

先日、久しぶりに実家に帰った。
数年前にトイレは最新式のウォッシュレットになっている。
風呂もガスで沸かす最新式のもの。足を伸ばせるモダンな浴槽。
人肥や灰を畑に入れることもなくなっただろうから、最近は農協で肥料でも多めに買っているのかもしれない。

それはともかく、親がポロリと言った。
「ホウレン草を植えたんやけど、1週間農薬やらんかったら虫が来て駄目になってしもたわ」
「ホウレン草は1週間に1回農薬せなあかんな」

実家の野菜は売り物ではないので、あまり農薬は使っていない。
白菜なんて、笑ってしまいそうなほど全面穴だらけ。
でも中心部分までは青虫に食べられていないので、食べられる部分はある。
頻繁に農薬を散布するのは手間もかかるので、無農薬に近い状態で栽培している。
ただ、農薬をしないと全滅してしまうような野菜には最低限の農薬をやらざるをえない。

田舎に住む人は、野菜や果物についてよく知っている。
農作物は大きく3つに分けられる。
1.農薬がないと育てることが不可能に近いもの。
  →農薬必須。
2.農薬を抑えても育てられるけど見た目に影響が出たり、生育にばらつきが出るもの。  
  →出荷するものには十分な農薬。自家用には最低限。
3.農薬がなくてもまずまず問題なく育つもの。
  →出荷するものには農薬を使うことも。自家用には使わない。

多くの穀物や野菜、果物は、農薬がないと育てられない。
だから、青森の木村秋則さんが育てている無農薬リンゴは奇跡のリンゴだと言われる。
ほんとうに奇跡だと思う。
通常、野生種のリンゴでもないかぎり、虫にやられるのは必至。

果物や野菜は、品種改良が進んだ影響で野生的な強さを失ったものが多い。
体毛を失った人間に裸のまま野外で生活しろと言われても対応できないように、
野性を失った野菜に大自然の中でたくましく育つように期待されても到底無理なのだ。
だから、各種の農薬を使って弱い野菜を守る。

だけど、農作物の中には雑草に近いような、元気な野菜もある。
つるむらさき、モロヘイヤ、オクラ、ミズナ、アシタバなどは無農薬で作ることができる。
バジル、ローズマリー、タイム、ペパーミントなどのハーブも基本的に農薬は不要。
白菜や桃やホウレン草やブドウを無農薬で作るのはまず無理だろう。

無農薬野菜を作るのに一番手っ取り早いのは、野生に近い野菜を育てることだ。
いつか、私が野菜農場を作るときは、無農薬で育つ野菜ばかり育てようと思っている。

農薬というものは、大規模農業をやるには不可欠のものとなっている。
農業従事者の多くは高尚な趣味人でも思想家でもないから、出荷する商品として農作物を育てている。
効率を考え、病気にならないように、手っ取り早く栄養を吸収できるように、いっせいに収穫できるように、等々を考えて農協の指導により農薬を散布している。

農協も農薬が売れないと収入が減るから、農家の人たちに減農薬や有機農法を奨励することはほとんどない。

農家も農協も農薬メーカーも深くつながっているけど、あまり景気はよくない。
高級な食材を楽しむ余裕のない人も多い。
そういった人は、豊かな食卓とは何だろうと考えることは少ない。
田舎の農協の一番安い鶏肉や豚肉、野菜を疑いもなく購入する。
そのような人は、食材の質や農薬について本気で語ろうとしない。
大量の農薬を使ってちょっとやばいかな、と薄々感じながらも、生活のために農作物を出荷している。


農薬は、食品添加物に似ている。
どちらも商品を効率的に作り、販売し、お金にするのに役立つ便利な時間短縮薬、手間省き薬だ。
手間のかかる作業が大幅に省略できる。
そのかわり、安全性や品質や味を犠牲にする。

西田立樹さんという農薬の専門家の方が運営されている「農薬ネット」というサイトに、農薬をフォローする記述があった。
たしかに、食品添加物も農薬も安全なものが多い。
すぐに害になるようなものはほとんどないので、それを目のかたきにする必要はないと思っている。農薬なしで野菜を育てるのは至難の業。
農薬も食品添加物もべつに排斥されるべき存在ではない。それなりの必然性とそれなりの理由があって広く普及してきた。それを排斥する前に、農薬とは何なのだろう、ということを学んでもいい。

ただ、「ほんとうにそれが必要なのか」「なぜそれが必要なのか」「何が犠牲になるのか」といった視点があってもいいのではないだろうか。

形ばかりで中身がないものはほんとうに味気ない。
豊かになった私たちは、もう量や形を求めるだけでなく、質のいい中身を求めてもいいのではないだろうか。

世界各地の、有機的で無農薬で食品添加物を使用していないワインや加工品や海産物や野菜料理や肉料理の滋味に鈍感な人が、農薬や食品添加物を擁護してもあまり説得力はない。
いつまでも食生活の貧しい時代の論理に支配される必要はない。


「農薬ネット」の記述より(※矢印の後に書いているのは私の認識)
http://www.nouyaku.net/situmon/kotae1.html#自分用
  ■農家は自分用の野菜には農薬を使わない?
  「農家は自家消費用には農薬は使わない」という話がよく出てきます。
  もうちょっとつっこんだ「農薬は危ないから自分たち用には使わないと
  農家が言っていた」という話の場合もあります。本当でしょうか?

  私も北海道で、タクシーの運転手から 頼みもしないのに「あんたら都会
  もんは知らないだろうけど、おれらは自分たち用には農薬を使わないか
  ら、おいしくて安全なものを食べられる。」とペラペラ「教えて」もらっ
  たことがあります。
  ●いきなり結論ですが、「農家は自家消費用には農薬は使わない」という
  話は本当ではありません。いくつかの事実誤認と大いなる矛盾が隠されて
  います。
→「すべての農家は自家消費用に農薬を使わない」とは誰も言っていません。
「少なくない農家が自家消費用には農薬は(できるだけ)使っていない」というのは事実なので、事実誤認とは言うのは言いすぎです。

  ●まず1番目の事実誤認はそんな事実は必ずしもないということですね。
  そういう農家の方もおられます。でも大抵の農家はそうじゃない。
  それに農家だっていろんな野菜や果物をスーパーで買ったりしています。
  自給自足してるわけじゃないので、自分の分を無農薬でやったとしても
  どれだけ意味があるのかどうか。
→自分の作っている農薬どっさりの野菜に違和感があるから、それを避けようとして自家用には農薬の使用を控え目にするのです。
売り物になっているものは農薬の量が表示されていないから、薄々感じながら直視しないでいるのかもしれません。「本当はこの野菜もどっさり農薬が使われているんだろうな」と心の中では思って仕方なく買っている農家の人も少なくありません。
できることなら農薬をあまり使っていない野菜を食べたいと思っている人が大半でしょう。少なくとも、大量の農薬を使用した農作物に違和感を覚える農家が多いことは事実です。
農薬を使ったほうがおいしい野菜ができると思っている農家はほとんどないでしょう。

  ●2番目に「農業」というものを誤解していませんか?という点。
  「農業」は「業」ですから作って売ってなんぼの世界です。
  売り物の野菜や果物は、傷もなく形もそろっています。必要な時期に
  必要な数量を適当な価格で用意する供給責任もあります。
→工業製品のように均質な農作物の生産を優先しなくてもいいのではないでしょうか。
「売り物の野菜や果物は、傷もなく形もそろっている」「必要な時期に必要な数量を適当な価格で用意する」というのは、ビジネスマンが自分たちの効率を重視した、言ってみれば「手抜き」のやり方です。
大量の均一のプラスティックのお皿を作るのも産業ですが、手づくりで絵付きの茶碗を作るのも産業です。
貧しい時代なら大量生産もありがたく受けいれられたでしょうが、豊かな時代に質の低い製品を大量生産しても需要を満たしません。

  そして利益も稼ぎ出さなければなりません。そういうものを作るのと、
  自分が食べるものを作るのでは目的が異なりますから、栽培方法も当然
  異なってきます。よって、自家消費用と販売用を比べてもあまり意味
  無いと言うことです。
→意味がないということはありません。「都会の人は知らないだろうけど、私たちは自家用にはできるだけ農薬を使わない。販売用の農作物には生産効率の重視のために、おどろくほど大量の農薬を使用している。手間ひまをかけずに均一な農作物を安定的に得るために、本来必要のない枯葉剤や殺虫剤も使用している」と言う人に対して、「販売用と自宅用は目的が違うから比較は意味がない」と言うのでしょうか。
田舎の人は、「効率を重視して本来の味わいや安全性を失ってしまった農作物」に対して疑問を呈しているのです。西田立樹さんはそういった不安に対してきちんと向き合っていないのではないでしょうか。

  弁当屋のおばさんがお店では料理前には手を消毒液で消毒して、マスク
  や頭巾をして、きれいな弁当を出していても、家では手抜き料理で盛り
  つけを省略していたとしても当然のことでしょう。同じ理屈ですね。
  消毒液やマスクが農薬に該当します。
  つまり自家消費用の野菜はきれいでなくても良いし、供給責任もない
  ので農薬を使う必要がないということですね。
→比喩が適切ではありません。「消毒液やマスクが農薬に該当します」ではなく、「保存料や防カビ剤などの食品添加物が農薬に該当します」と言ったほうが適切でしょう。
食品添加物の使用も法的には問題ありませんが、問題もあります。農薬漬けにした野菜を大量生産することは、食品添加物を大量に使ったコンビニ弁当を大量生産することと、同じような構造があるのです。

  3番目は農家が言う「危険」とは「農薬散布」の危険を指す場合が多いと
  いうこと。農薬原液はもちろん、散布用に薄めた液でも触れたり口に入っ
  たりすれば決して安全なものとは言えないし、一歩間違えれば目を痛め
  たりかぶれたりなどの被害が出ることもあります。そうでなくても、
  臭かったり、まくのが面倒だったりなどのデメリットがあります。
  さらには農薬代がもったいないというのも理由になります。しかし、
  食べてどうかというのはこれらとは無関係な話であり、農家にとって
  危険=消費者にとって危険ということではないということですね。
→農家の人の認識と異なると思います。確かに、農薬を散布するときに気分がわるくなる人はいます。子どもに被害が出ることもあります。
しかし、農薬に不安を感じる人は、農作物に大量の農薬を使うことに関して不安を感じています。毎週毎週農薬をかけられた野菜は、見た目はきれいな形を維持できるかもしれませんが、もやしっ子のようにひ弱なものになっているのではないかと、正常なものではないのではないかと、農家の人は直感的に感じるのです。

  ●「農家は自家消費用には農薬は使わない」という話は、普段農薬を取り
  扱っていて農薬に詳しい農家の人が言っているのだから間違いない・・・・
  というニュアンスが含まれています。消費者は農薬など見たことも触った
  こともありませんから、「実は私は詳しく知らない」と自覚していて、
  「詳しい人(農家)」の意見を引用しているわけですね。
  ●では、「もっと詳しい人」である農薬業界や行政関係者が「農薬の安全
  性は様々な試験で裏打ちされ、通常使用では食品として問題はない」
  と言っていることは、なぜ無視するのでしょうか?
→農薬業界の人や行政関係者は実際に農業を行っている人たちではありません。
農業の現場でどのように農薬が使われているかということに関して、農家の人より詳しくないのではないでしょうか。
実際に無農薬の野菜と農薬たっぷりの野菜を食べ比べたことはあるのでしょうか。
食品添加物研究者が「食品添加物は安全」と言い、特に食品添加物を含んでいない食べ物を常用していないからと言って、食品添加物が安全だという理由にはなりません。
食生活の貧しい人には高級な有機食材の味になじみがないかもしれませんが、食品添加物を添加する工場の人がどれだけの添加物をどのように添加しているか知ってしまうと、できるだけ食品添加物の入っていないものを食べようとするかもしれませんね。
現場を知らずに「安全だ」と言う人が何でも知っているわけではありません。化学式や実験だけで把握できないこともあります。

  ●農薬業界や役人は情報公開不足を指摘されていますが、その裏には
  都合の悪い情報があるはずだ、農薬の危険性を隠しているはずだという
  推論あるいは想像があります。さらに、商業主義だからとか、自分たち
  は農薬で儲けているから否定できないといった考え方もあるわけです。
  ●その「裏情報」を知っている業界人が農薬使用や一般栽培作物を危険
  視しないのはなぜなんでしょうか?農薬業界人は私が知る限り好んで
  無農薬栽培作物を買っている人はいないという事実があります。問題が
  あるならば、業界人は農薬を売るだけ売って儲けておいて、自分たちは
  それら使用作物を 購入しないという卑怯な消費行動に出るべきです。
  「農家は自家消費用には農薬は使わない」という話は農家はそういう
  消費活動をしているという指摘ですが、農薬について裏も表も知る
  「農家よりもっと詳しい人たち」がそういう消費活動をしないという
  事実を直視できないなら、指摘自体が矛盾をはらんでいることにもなる
  のです。
→農薬の危険性を隠しているのでは、とは疑っていません。
すでに数々の農薬の毒性については海外でも研究され、研究結果を知ることもできます。
しかし、なかなか明らかにされないこともあります。それは、農薬業界の癒着です。利権と言ってもいいかもしれません。
なぜ、農協は不必要なまでに大量の農薬を売りさばこうとするのですか?なぜ無農薬・減農薬でやりたいという農家に対して協力的ではないのですか?
農薬業界の研究者の方は、農協のことについて詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。
いくら農薬を使えばより均質的な農作物を楽に作ることができるからといって、無農薬や減農薬のものよりもおいしいものや安全なものができないのであれば、使用する農薬を減らすことを考えてもいいのではないでしょうか。
それをしないでひたすら農薬を売ろうとするのは、非エコであり、非オーガニックであり、非スローフードであり、儲け優先の視野の狭い行動だと思います。

あらためて農薬開発者や農薬販売者、農園経営者に問いたい。
・農薬を使わないと作物を作ることができないのですか?
 (必ずしもそうとは言えないのでは。いくらでも工夫はできるのでは)
・農薬を使うことによって得られることは何ですか?
 (効率、低価格、競争力、品質と引き換えの形と量でしょうか)
・農薬を使うことによって失うことは何ですか?
 (すくなくとも、手間ひまかける誠実さと表面的ではない滋味を失ったのでは)
・農薬を使うことによって無農薬・減農薬よりもおいしい農作物が作れますか?
 (この視点は必要ではないでしょうか)
・画一的な農作物を育てることは、画一的な人材を育成することに似ていませんか?
 (あなたの息子さんをあなたの育てている農作物のように育てたいですか)
・食品添加物を多用するリスクは、農薬を多用するリスクに似ていませんか?
・食品添加物がもたらす貧しい食卓は、農薬がもたらす貧しい食卓に似ていませんか?


農薬メーカーに勤める人は無農薬野菜を求めないのかもしれません。
プレハブ住宅メーカーに勤める人は総ヒノキ造りの家を求めないのかもしれません。
ペンキメーカーに勤める人が土壁の家を求めないのかもしれません。
フリーペーパー出版社に勤める人は文芸書を求めないのかもしれません。

だからと言って、彼らが無農薬野菜やヒノキの家や土壁の家や文芸書の価値を認めないということはないでしょう。
生活に余裕ができて、豊かな生活をしたいと思ったら、彼らも無農薬野菜やヒノキの家や土壁の家や文芸書に価値を見出すかもしれません。

貧しい状態ではなかなか余裕は生まれません。
田舎の人たちが都会の人たち以上に残酷なまでに自然の破壊に無知で無神経なことが多いのは、貧しい時代が長かったせいかもしれません。

田舎は貧しく、趣味も少なく、稼ぐことが優先されてきたけど、全国にブロードバンドが通じ、田舎の人も多くの情報を得ることができるようになり、どこからでも楽天市場やヤフー!ショッピングで買い物ができるようになり、生活も豊かになった。
これから、田舎の人はもっともっと視野が広く、賢くなってくると思います。

いつまでも農薬を多用したおいしくない野菜で消費者はだませないのかもしれません。