「唐沢」「体」「空っぽ」「抜け殻」という語には「から」という音が含まれる。
それは偶然ではない。
「からさわ」「からだ」「からっぽ」「ぬけがら」は全て、空っぽというか空洞というかemptyというか、中空状態、中身のない状態をあらわす「から」という語に関係がある。
「唐沢」の語源は「涸沢」。水のない沢。
山と平地の境にある扇状地では、山から流れてくる水が水はけのよい扇状地の下を通って平地に出てくる。大水のときは扇状地の上も流れるけど、普段は涸れている川だから、涸沢と言われている。
そういった地域に唐沢という苗字のルーツはある。
「体(からだ)」というのは、本来は、抜け殻。なきがら。肉体としてのbody。
精神とか心というものは含まれていない。
千年以上前は「からだ」ではなく「から」と言われていた。
400年前の江戸時代初期でもまだ「からだ」は死体、なきがらの意味で使われることが主流だった。
現代では体格、体力、身体、肉体として「体」という語を使用し、「体を大事に」とか「体を丈夫に」とか「体の手入れを念入りに」などと言うけど、千年前の人が聞いたら驚くような表現だろう。
本来、「からだ」は「蝉の抜け殻」の「殻(から)」のようなものだったから。
むかしの日本では、心というか魂と一体になったものは中身のなる「身(み)」として「体(からだ)」と区別していた。
「魂(たましい)」の「たま」は「たまげる(魂消る)」「玉突き」「玉の輿」「頭」「火の玉」の「たま」に通じ、丸いもの、大事なもの、美しいもの、ありがたいものを示す。
「心(こころ)」の語源は不明だけど、むかしから心臓のことを示していた。
むかしの日本人は、心は頭ではなく胸(心臓)にあると認識していた。
魂は「肉体と分離した霊魂」、心は「生きた人の気持ち」と区別すればよいかもしれない。
「心配り」とは言うけど「魂配り」とは言わない。
「魂を招く」とは言うけど「心を招く」とは言わない。
日本語の語源を意識すると、日本社会にひそむ物の見方、価値観に気付くことがある。
外国の人たちはどのように世界を認識していたのも気になるこの頃。
合理的に物事を分析したくても、ついつい、私たちは母語の持つ世界観に影響されがちだ。
<参考>
語源由来辞典(からだ)
http://gogen-allguide.com/ka/karada.html