2月3日(日)の朝日新聞朝刊に、和田中学校のことが記事になっていた。
できる子むけに公立中学校が夜間の特別授業を設ける、というのは画期的。栄光ゼミナール(じゃなくて、SAPIXでしたね、和田中は)の教えるノウハウは優れているから、公立校もそれを活用しない手はないと判断したのだろう。
昨年末、ある町の教育委員会委員長に和田中学校の「夜スペ」開始のニュースを伝えたら、好意的に受け止めていた。
公立学校の教師は雑用に忙しく、教える技術のプロは少ない。教える技術が低くても更迭されたりしないし。教える技術を一流塾講師並みに磨いている人は少ない。
いまだに教科書を棒読みして順番に生徒をあてて答えさせる、という古典的な進行で時間を潰している教師もいる。
教師の学力も決して平均的には高いものではなく、中高の英語教師でも抜き打ちテストをすれば英検準1級、TOEIC730点をクリアできない人が過半数のはず。2級、600点をクリアできない人も少なくない。(TOEIC運営委員会の資料にもあるはず)
それはともかく、朝日新聞の記事を見ておどろいた。
これは、先に国際基督教大の藤田英典教授に意見を聞いて、それを和田中の藤原和博校長に見せて、藤原校長の意見を聞いただろうか。
これがディベートなら、藤原校長の圧勝でしょう。こんなに藤田教授に恥をかかせて、朝日新聞は平気なのだろうか。これは藤田教授の名誉のために、もう一度発言してもらう必要があるのでは。
たしかに、藤田教授の話す内容は、昔の知識人のように、「何々をもっと考えるべきだ」「何々が大切だ」と言っても解決策を提案しないあいまいなもの。
でも「ロジカルシンキング」など聞いたこともないというむかしの知識人は、意味ありげだけど具体的でないことを演繹的に言う癖がついてしまっているので、なかなか修正することは難しい。
ちょっと前まで日本人が欧米人を前に意見を言うと、「で、何が言いたいの?」「何が言いたいのかわからない」と言われたものだけど、アグネス・チャンと同じくスタンフォード大の大学院で教育学の博士号を取得された藤田さんも、「何が言いたいの?」と言われたことがあるかもしれない。
論理的に考え、問題を解決しようという試みは、アメリカのコンサルティング会社などを中心に発達してきた。
その中で、一番やってはいけないのは、あいまいな言葉でごまかすこと。
「適切にしなければならない」とか「より良くしなければいけない」「よく検討しなければならない」などと言うと、何も解決できない人間だなと思われてしまう。
意見を言うときには、状況を分析し、問題を解決する具体的なステップを提案する力が求められる。
ところが藤田教授は言ってしまった。
「できる子とそうでない子を理不尽に別扱いすることの意味を、教育者ならもっと考えるべきだ」←具体的にどのようなことを考え、行動するのか。具体的な案は?
「学び合い高め合える教育が大切だ」←どうやって実現するのか。具体的な案は?
「都教委や杉並区教委は、公教育の理念や望ましい受験対応について、いろんな人の意見を聞き、十分かつ適切に検討・判断すべきだ」←どんな意見をどう検討するのか。具体的な案は?
藤原校長は1955年生まれだけど、おそらくロジカルシンキング(論理的思考)のことを熟知している。やることや言うことが具体的だし。
東大経済学部を出た後リクルートに入り数々の業績を上げた。相当頭がいいだけではなく、行動力も超一級。また、プレゼンに関しては天才的な技能を持つ。
この人を前に、立ち向かうのはたいへんだ。
おそらく、和田中の先生の中で藤原さんに批判的な人は少ないのでは。
藤原さんがやろうとしていることは日教組のやろうとしていることと全然違うけど、藤原さんの考えていることのほうが天才的発想だから。
今日、日本教職員組合(日教組)の全体集会がホテルの拒否によって実施できなかったということが大きなニュースになっていたけど、日教組の教育研究全国集会で、和田中の取り組みが取り上げられたりするのかな。
そういう日が来れば、日教組も風通しが良くなって、保身行為や利権確保に動くことが克服できるのではないかと思う。
私としては、さっさと塾の優れているところを公立校も取り入れればいいと思う。
藤原先生にはむかしの知識人と違う、新しい知性を感じる。藤原先生の取り組みを応援したい。
私は、公立中高で学んだけど、得たことはほとんどない。
つまらない授業に耳を傾けることなく、消しゴムをクルマに見立て、ペンのキャップを宇宙船に見立て、机上レースにいそしむ日々でした。あー、無駄なことしたものです。
(浪人して予備校に行ってカリスマ講師の授業を聞いたら偏差値は10くらいすぐに上がりました)
<参考1>
■■■朝日新聞 2008年(平成20年)2月3日 日曜日 12版▲ オピニオン 4
耕論
公立中学校で放課後、授業をする進学塾が登場した。各地で進む公教育と教育産業の連携のあり方を考える。
学校と塾の連携どこまで
東京・杉並区立和田中の夜間塾「夜スペ」
大手学習塾が有料で希望者に、週3回の放課後と土曜に授業をする。1月26日から始まった。東京都教委から「機会均等の確保に疑義がある」と指摘を受け、区教委が「学校の活動外の取り組みだ」と説明し、認められた。
このほか、東京の港区や足立区、青森県東通村、福島県川内村などでも、自治体が費用を負担し塾講師に補習を依頼。東京・江東区立の小中学校では教師と塾講師が一緒に授業をする。茨城県鹿嶋市は、市立小中の教員を研修・養成する「師範塾」の責任者に、民間塾の経営者を起用した。
■藤原和博(ふじはらかずひろ)さん
杉並区和田中校長
55年生まれ。リクルート社員を経て、03年から現職。「公立校の逆襲 いい学校を作る!」など著者多数。
★批判は具体的な対案で
「夜スペ」の狙いは、ある程度、勉強ができて意欲もある子たちに、さらに伸びる機会を提供することだ。
公立の学校は、勉強が苦手な子やつまずいている子に目を向ける。その部分の熱心さは日本の教師の美徳だろう。
一方で、ある程度できる子には、「自分でもっとがんばれるだろう」となりがちだ。授業をつまらなく感じて、「ふきこぼれ」現象も起きる。成長機会という意味では、不平等で不均等ともいえる。
「公立ではできる子には対応しません」ということでは、ふきこぼれが増えるばかりで、都会で言えば親の関心をますます私立に向かわせるだけだ。そんな公教育で日本はどうなってしまうのか、考えてみてほしい。
では、「できる子を伸ばす方にも力を入れろ」と教師の尻をたたくか。それはない。家庭のしつけが後退するなかでの生活指導、部活や委員会活動など、教師はほんとうに忙しい。環境、IT、国際理解、キャリア、生命など、新たな「○○教育」の必要性が言われるたびに対応を迫られる。教師の負荷は限界だろう。
だから、進学塾と組むことにした。入試など進路指導の情報も多い。無料では塾側が続かないし、生徒もさぼりがち。そこで月謝を通常の半額に設定し、経済的事情によっては更に下げることにした。
塾を単なる詰め込みだと言う人は古すぎる。飽きさせずに理解させるには相当な力量が必要だし、今回は狭い受験対策に特化せず、国際的な学習到達度調査(PISA)型の学力も視野に入れている。塾の講師と和田中の先生が、教え方について互いに参考にできる利点もある。
入室テストは希望者の実力を塾側が診断するためで、誰も落としていない。全員にテストをして、上位19人をピックアップしたわけでもない。実際は中位の生徒も多い。
ただ、公立校が特定の塾の講師を招いて、一部の子ども向けに有料の授業をするわけにはいかない。だから、和田中を支援するボランティア組織「地域本部」が主催する。
ここには30人を超える教師志望の学生や、保護者OB・OG、団塊世代のリタイア組などが参加してくれている。
地域本部の役割は多い。土曜朝のほぼ無料の寺子屋「ドテラ」もその一つ。分からない部分を少し年上の人たちが教えてくれる。授業に遅れがちな子や集中するのが苦手な子に、丁寧に対応する。「落ちこぼれ」を防ぐ対策を続けてきたことも知ってほしい。
できる子をさらに伸ばすのは、次のような理由だ。
地域本部は、ドテラ以外に「英語アドベンチャーコース」という集中講座もやってきた。英検協会と協力し、格安の謝礼で講師を頼んで主に英単語を教える。検定が励みになり、準2級に受かる子がどんどん増えた。
面白いことが起きた。自信をつけた子が、自然に仲間に教えるようになった。普段の授業でもリーダーシップを発揮するようになり、互いに学び合う雰囲気が生まれた。英語が苦手な子も変わっていき、杉並区の学力テストの順位が跳ね上がった。上位の一部が伸びたのではなく、生と全体が上がったのだ。
批判するなら具体的な対案を出してほしい。僕らは現場で実践と挑戦を重ねている。観念論や理想論だけで教育を語っても子どものためにはならない。
(聞き手・上野創)
■藤田英典(ふじたひでのり)さん
国際基督教]大学教授
44年生まれ。東大教育学部長などを経て03年から現職。編著書に「誰のための『教育再生』か」。
★受験偏重を恐れる
和田中の夜間塾には、和田中に直接かかわる問題と、公教育の在り方をめぐる理念的な問題がある。
第一は、学校という公共施設を塾の営利活動に提供することの問題性だ。学校側は「1コマ500円で利益はない」と説明しているが、施設費や光熱費がかからない上、宣伝効果のすごさを考えれば、塾の営業活動としてプラスになることは明らかだ。これが全国各地の学校に広まると、学校教育は受験準備教育にますます偏重していく。学校以外の公共施設も含めて、営利活動に提供しないという原則も崩れることになるだろう。
第二に、夜間塾は、一部の「できる子」だけを対象とすることにも問題がある。学校が公然と「できる子向け」と言うことは、潜在的に「できる子は優遇され、そうでない子は特別配慮に値しない」というメッセージを発信することになる。
中学校という難しい時期に、夜間塾を受けられない子とその保護者は今後どういう思いで学校生活を送ることになるだろうか。たとえ選抜テストをしなくても、ついて行けそうにない子に受講を希望しないように説明しているなら同じことだ。できる子とそうでない子を理不尽に別扱いすることの意味を、教育者ならもっとよく考えるべきだ。
米国の教育学者カミングスは、70年代の日本の教育を見て、小中学校では学校間格差や習熟度別などの差別がなく、平均以上の水準を標準に満たしていることを高く評価した。PISAで注目されているフィンランドの教育の卓越性も同様のところにある。できる子にも日常の教育活動の中で対応するのは当然のこと。特別扱いするのではなく、多様な背景や能力をもつ子と学び合うことで、考える力や思いやる力もはぐくまれる。そういう学び合い高め合える教育が大切だ。
高校受験については、学校の授業と家庭学習だけで対応できないことはないはずだ。とはいえ、子どもや保護者が学校に受験への対応を求めているのは事実だろう。公立校にも従来、受験「プロ」の先生がたくさんいた。最近の先生は忙しくてそこまで手が回らないというなら、先生の数を増やすという王道を含め、受験を直近で経験している大学生の力を借りるなど種々の方法がある。
藤原校長が進める改革には評価できるものも多いと思う反面、危うさも感じていた。それが今回表面化した。藤原校長はホームページなどで「全国の公立中学校に先駆けて」「公立校の弱点である『ふきこぼれ』を出さない」と協調している。こうした発言は他の公立校をおとしめていないか。「総合的な学習の時間」や学校支援ボランティア制度などで成果を上げている学校は多い。そういう学校まで、よく知らない人たちから「なぜ他の学校もやらないのか」と責められ、浮足立ってしまう危険性がある。
都教委や杉並区教委は、公教育の理念や望ましい受験対応について、いろんな人の意見を聞き、十分かつ適切に検討・判断すべきだ。区教委は夜間塾を「地域本部の主催なので学校の教育活動外」と位置づけたが、地域本部の主催なら何でもやっていいとなれば歯止めが利かなくなる。教委には、地方分権や学校裁量権の拡大を適切に進める責任と義務がある。
(聞き手・葉山梢)
■菅原明之(すがわらあきゆき)さん
全国学習塾協会常任理事
59年生まれ。83年から東京都江戸川区で菅原進学教室を開く。04年度から江東区八名川小の授業に参加。
★互いを知れば補完できる
公立の小中学校と塾の連携は、すでにいくつもの自治体で実施されている。私は04年6月から、東京都江東区の小学校で、高学年の数学を教えている。
当初は学校の教師からの抵抗感も強く、ぎくしゃくした。やはり塾とは教え方がまったく違う。学校の指導は問題解決型。割り算なら「2で割るというのはどういうことか」という原理原則をみんなで考えながら、答えを見つけていく。塾は、演習による定着型。問題を次々とやりながら解き方を覚えていく。
学校では「なぜ」「どうして」を大事にする。「答えをスッと出さないでほしい」と何度も教師に言われた。学校の土台があって、塾の教え方が成り立つのだと実感した。お互いに探り合いながら、やり方を見つけてきた。
みんなで考えることが重要なのはわかるが、学校ではどうしてもできない子を中心に教えていく。できる子は手持ちぶさたになっても、待たせているのが現状だ。算数や英語などは特に習熟度別に分けたほうが良い。
ただ、習熟度別は教師の人数を増やさないと難しい。例えば、40人学級の3クラスを習熟度別に分けたとする。一番下のクラスは、分からない子ばかりが40人。これを教える先生は大変だ。江東区では習熟度別に分けた時には、私が発展的な学習をするクラスに入る。教師の余裕ができる分、わからない子を徹底的に教えることができる。これは大事なことだと思う。
現場の学校に入ってみて、教師の忙しさには驚いた。勉強を教える以外のことが多すぎる。残業しても終わらず、苦しんでいる。教育現場は限界に来ているのではないかとすら感じる。
学力格差の広がりも実感した。中学校でも教科書がきちんと読めない子、割り算ができない子もいる。学力低下だけではなく、学習意欲も低下している。そういう子をどうやって教えたらいいのか。様々な教え方を取り入れなければ、立ち行かないだろう。
そして教師が一生懸命授業をやっても、入試までに学習内容が終わらないというのも現実だ。学校の授業だけでは、入試に対応できない。それほど学校の授業と入試内容には隔たりがある。ここをなんとかしない限り、生徒たちは塾に通わざるを得ない。
学校は学習した内容を定着させることに弱い。家庭での定着を求めてもなかなか難しい。学校で、勉強を教える専門家の手を借りざるを得ない状況があるのではないか。
ただ、教師には「自分の子どもたちは自分で育てたい」という強い思いがある。だからこそ、もし塾が入っても、講師と信頼関係を築いていくことは簡単ではない。塾の講師が色を出さないように、補助の役割に徹しなければならない。和田中では、「学校の教育活動外」ということで塾の連携を認められた。
しかし教師は、塾の講師が何をどう教えているかを知りたいはずだ。足立区の中学校で長期休暇中に補習をしたときには、教師から「ここを教えてほしい、ここまでは教えないでほしい」と教材に細かい注文がついた。そうやって初めて、お互いに納得がいく連携ができる。塾がかかわるなら、教師の承認と協力が不可欠だ。そこまでやって、できる子にもできない子にも充実した教育が可能なのではないか。
(聞き手・平岡妙子)
<参考2>
※あらたにす(http://allatanys.jp/)のトップページの「編集局から」というコーナーにこういう記事があったけど、単に紙媒体の紙面の紹介をしているだけなのだろうか。
「耕論」はネットで公開されてない様子。出し惜しみしないですべての記事をネットで無料公開してほしい。新聞社も通信社的な立場になって生き残るかもしれないし。
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[編集局から]朝日新聞
毒入りギョーザ事件は工場内での製造の状況や流通経路などがかなりわかってきました。真相はナゾに包まれていますが、日中双方での取材結果を1、2面、社会面で詳しくお伝えしました。杉並区立和田中学で始まった夜間塾。藤原和博校長をはじめとする3人の賛否両論がオピニオン面の「耕論」です。学校と塾の連携、そのあり方とは。さて、きょうは節分です。1面の写真は、春なお遠い猪苗代湖の波と風の造形「しぶき氷」です。(和)