私の生徒さんで面白い人がいたのをふと思い出したので書いておきます。


スペイン語の初級といっても、まだコースが始まって間もない頃でしたが、5人ほどのクラスで教えていた時のことです。


月、太陽、机、猫、家・・・・などのごく基本的な単語に、冷たい、長い、大きい、美しい、などの形容詞を付ける練習をしていた時のこと・・・・

犬がperro、熱いがcalienteですよという話をして、



「さぁて、では Perro caliente って何だと思いますか?どなたか分かる人!」


「ハイ!」「はい!」「ハ~イ!」とあちこちから手が上がりました。


「ン、では、Sさん、どうぞ!」


お嬢さんのSさんは自信満々で答えました。


「サカリのついたイヌ!」



シーーーーーーーーーーン・・・・どっひゃ~??!!%&&#$&%*=+


ふだんまじめでおとなしいKさんは下向いて肩揺らしてるし、エリートサラリーマンのMさんはスーツなのに足上げて痙攣してるし、主婦のTさんは机蹴ってるし・・・・・・


私は私で、黒板(ホワイトボード)にマジックたたきつけてネクタイ外し、踊ってました。


「あのネ~、まだスペイン語初めたばかりの人にそんな凝ったちょっとエッチで高尚なネタ出すわけないでしょ!」


その答えた当人、某大使館に勤めている上品できれいな20代女性のSさんは大きな瞳をパッチリ開いて私をキョトンと見つめました。


「perro と caliente を英語で考えてごらん 」


アッ!と小さなうめき声をもらしたSさんは顔を真っ赤にして固まる。


「perro は dog、 caliente は hot だよね。つまり・・・・・」


「ホットドック!」 みんなの顔が輝く。


それ以降、かわいそうなSさんはみんなから(ワタシも含め)「サカリさん」と呼ばれるようになってしまいました(笑)。あ~あ。


ちなみに、スペイン語は英語と違って、長い、冷たいなどの形容詞を名詞の後ろにつけます。スペイン語は発音だけは日本人にとって非常に簡単で、そのままローマ字読みしカタカナ発音で十分通じます。例外は多少ありますが。

南米に行ったら、ぜひ街の屋台、スタンドでペロ・カリエンテ食べてみて下さい。


それにしても、ホットドッグをそのままスペイン語にするなよ。短絡的すぎるだろ。も少しうがった、スペイン語ならではのオリジナルなネーミングにできなかったもんかねーと思ったものです。


みなさん、テンネンな答えで私の寿命縮めないでください!



















































今日は16世紀スペインの神秘主義詩人、サン・フアン・デ・ラ・クルス(San Juan de La Cruz)の詩を紹介したいと思います。


LAS CONDICIONES DEL PAJARO SOLITARIO


Son cinco:


La primera, que se va lo mas alto;

la segunda, que no sufre compania, aunque sea de su naturaleza;

la tercera, que pone el pico al aire;

la cuarta, que no tiene determinado color;

la quinta, que canta suavemente.


孤独な鳥の条件は五つある


第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ

第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされずその同類にさえわずらわされない

第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける

第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない

第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう


      注) mas の a、と compania の n と i にはアクセント付きますが省略 

         しています



この詩は、ニューエイジ時代のカリスマ人類学者、カルロス・カスタネダの「ドン・フアン」シリーズに引用されていて、初めて知った詩です。私がとても気に入ったものです。


カスタネダの本は大学時代に始めて読んだのですが、青二才の若造にはたいへん難解でした。でもその後様々な人生経験を経て、「あー、あれはこのことだったんだな!」と身を以って分かるようになったという私には縁の深い本です。


ここで難しい箇所のスペイン語に解説を付けておきます。


第二のところの、no sufre compania は、 まず sufrir の他動詞の使い方で、良くないことを経験する(例→ sufrir un accidente 事故に会う)という意味です。

compania は、パートナー、同伴者または誰かと一緒にいることです。


後半の aunque sea de su naturaleza は、 aunque + 接続法 = たとえ~であっても。そして naturaleza はここでは本性、気質、性質の意味となります。


なので直訳すると、「たとえその鳥の性質であっても、誰かと一緒にいるという良くない経験をする」となり、何が何だか分かりませんね。


訳者はかなり考えて意訳していますが、私なりにもう少し進めて訳してみると

「その鳥は、鳥というもの本来の群れるという性質がありはするが、他の鳥と一緒にいることにわずらわされはしない」となり、若干訳者の訳とは違う気もしますが、詩の訳は人によりかなり変わってきてしまうといういい例ですね。

ここは、難しいです。


そして第三の pone el pico al aire のところは、 pico が「嘴」、al aire が「空に向けて」の意なので、「嘴を上に向ける」という訳になります。


さて、文法の解説はここまでとして、どうでしょう?私はこの鳥のようになりたいなあとよく感じたものですが、強さと繊細さと賢さと優しさを兼ね備えた存在を美しく表現しているとは思いませんか。凡の非凡。


今これを書いていて、ふと頭をよぎったのですが、この「孤独な鳥」はどことなくキリストやブッダのイメージに重なりませんか。


両者とも、あらゆる個性を超えて、どのようなカラーにもなれる度量と、弟子たちと共に歩みながらも、決して彼らに惑わされず、目的を見失わず、いかなる状況であろうと肯定的な態度を維持し、限りなく慈悲深い存在でしたよね。


覚醒した者だけが持つ静けさと叡智そして気品。

どことなく寂しくて温かく、とぼけているようで誠実、暗くて明るい神秘的な鳥。


みなさんは何を感じられましたか。







































今日は三日坊主についてお話したいと思います。


語学の習得には言うまでもなく、短時間でよいので、継続して毎日やることが一番なのですが・・・・・おっと。今皆さんから「それができりゃクロウしないんだョ」というブーイングの嵐に直撃されました!。


私も語学は一定期間は継続して勉強できましたが、他のこと、例えばギターとかマラソンとか三日坊主経験は山とあります。


ではなぜ三日坊主で終わってしまうか考えてみましょう。


1)モチベーション(動機、やる気)が低いから。本気になれないから。

2)時間配分が下手だから。

3)集中できる環境が整わないから。

4)欝っぽい状態だから。パワー不足。


これ以外にも理由はあるかと思いますが、2)3)はちょっと工夫すれば調整できるはずなのでここでは外します。


4)についてです。最近ますますウツが流行ってますが、これは世界的な社会現象で日本だけではないですね。アメリカやヨーロッパその他でもウツな人が量産されています。極端な物質文明に人間が疲れてしまっているからとか、人口の増加、身体を使わず頭ばかり使うようになったとか・・原因は多種多様で複雑に絡み合っています。


でもここで一つ言えるのは、ウツになっている人は無理して新たな挑戦をしないで、しばらく自分を自由に遊ばせて元気を取り戻すまで見守る方がいいということです。


それでも一念発起して自分にムチ打って何かに挑戦できるくらいであれば、そもそもウツではないでしょうしね。それでも無理すると、三日どころか一日坊主以下になってしまい、もっと落ち込むことにもなりかねません。


そこで、今日のテーマで問題とするのは1)の人です。


もしあなたが必要に迫られて、「これができなかったら終わりだ。万事休す。」と本当に張り詰めているのなら、また、心の底からその夢を死んでも叶えたい!と思っているなら必ずやり通せます。ただ、人間は自分に自分でうそをつくので、本心から思っているというのが大事です。私自身の経験からもそれは言えます。


要するに、何のためにそれをやらなければならないのか、というモチベーションが明確で、強烈であれば何も言うことはない、誰の助けがなくてもあなた一人で達成できます。真剣そのものだからです。


でも、たいていは「これができたらカッコいいしナ。人生ずっと楽しくなるしな。異性にもアピール度高くなるし・・・・」などと思って楽器や語学、スポーツなどの習い事を始める人が多いはずです。


それが悪い訳ではありません。誰もがそんな風に思って生きてます。


では、こういうモチベーションがあやふやで、ちょっとした興味、趣味的に何かを始めて、ある程度のレベルになるにはどうしたら良いか。


ここで「断続的三日坊主繰り返し法」をおすすめしたいと思います。


始めても2,3日で続かなくなってしまうと、ふつう人は落ち込みます。

「アー、オレ(ワタシ)って軟弱だな~、意志が弱いな~」と思い、更に自己嫌悪にはまり、「やっぱ、ダメなんだ」と自分に言い聞かせて終わりになります。

(コレハワタシジシンのタイケンからデタセリフです)


だから、続かなくて落ち込んでもいいじゃないか。また始めればいいんだよ。それでまた終わっても、更にまた始めればいいじゃないかっていうことなんです。


三日坊主で終わって落ち込みすぎるから、もう再挑戦する気がなくなってしまうんです。自己嫌悪に陥っても、数日間が空いてしまっても、また始めればいいんです。


でも、あまり期間が空いてしまうとせっかく学んだのに、また初めからやり直しになってしまうので、気分を切り替えて「三日しか続かなくて2、3日空いてしまったが、またやるか!」と何度でも三日坊主を繰り返せば、長い目で見て、

比較的毎日できてたじゃん、ということになるんです。


それから、変にプライドが高いとダメです。継続できない自分。こんなダメな自分は本当の自分じゃない。本当はもっと意志の強い人間なはずだ。などと考えていると、また続かないんじゃないかと怖くなり、一度頓挫したらしばらーく再挑戦する気になれなくなってしまいます。


オレ(ワタシ)ってあまり続かなくてダメなやつかもしれないけど、な~に、時々切れながらも少しずつ、少しずつ目標に近づいて行けるさ。

とあっけらかんと構えてみたらどうでしょうか?


語学の上達はタクシーの料金と同じです。

努力に比例して上達はせず、努力を継続してしばらくしてからはっきりした上達ぶりが、自分でもそして他人から見ても確認できるようになるんです。

坂道式じゃなく、階段式に伸びて行くものです。


努力しても、なかなか成果として表に出てこないとき、いいですか、水面下つまり無意識の領域では伸びているんですよ。それが溜まってある一定のラインを超えた時、火山のように噴火、つまりご褒美の成果が噴出すんです。このことを忘れないでください。


万能とは言えませんが、この「断続的三日坊主繰り返し法」一度お試しください。









それでも、ダメかもしれません。

でも、