>人が牛あるいは羊を盗み、これを屠るか売るかした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一匹を羊四匹で償わなければならない。
出エジプト記 22章 1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
→<盗んではならない>(20:15)を22章で具体な例を挙げて示している。
一頭一匹を一頭一匹で現状復帰すれば良いということにはしないことがわかる。
盗難に対する捜索活動があって、盗人を発見することができ、盗まれた家畜の処分状況も知ることができる。この活動コストも加害者に負わせなければならないだろう。
それでも、4倍、5倍もかかるものだろうか?
この賠償額の大きさについては4節と合わせて考えよう。
>もしも、牛であれ、ろばであれ、羊であれ、盗んだ物が生きたままで彼の手もとにあるのが確認されたなら、それを二倍にして償わなければならない。
出エジプト記 22章 4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
→現状復帰が叶う場合の賠償は二倍と定められている。
<生きたままで彼の手もとにある>とは処分前の早い時期に見つけることができた場合と受け止めよう。
盗人が自分の家畜として使用して長い期間を経過した後に発見されたということではないということ。
家畜という生産手段を喪失した期間が短いことは、期待されていた利益の逸失も少ないということになる。また、「捜索活動」に費やした期間も短く済んだと考えられる。
これらのことは、盗んだ側からすれば、「大した実害は無かったではないか」という言い分になるかもしれない。
神は当然そのような言い分は認めない。
盗んだ者は、それが持ち主にそのまま戻ったとしても、
現状復帰の上に更にもう一頭分出費をする羽目になる。
これが、神の戒めを軽んじたペナルティーということになるが、「盗む」という、
神の戒めを破る事態が抑止されることを神は望まれている
と解する。
冒頭1節で示された
より悪質な事態を抑止するために4節より重たいペナルティーを課す、
それが「4倍、5倍」ということなのだろう。