は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。

は、あわれみ深く、情け深い神。

怒るのに遅く、恵み(ヘセドחסד  h2617)とまことに富み、

恵み(ヘセドחסד h2617)を千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。

しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。

                      出エジプト記 34章 6〜7節

                      聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

→主が語られたこの言葉の中で、

 

     <恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち>

恵み>という語を繰り返している。

 しかし七十人訳ギリシャ語ではこの繰り返された主の言葉を違うギリシャ語で、一つのヘブル語単語を異なるギリシャ語に翻訳している点を指摘したい。

 

(6節)<恵みとまことに富み>

    πολυέλεος (恵みに富み)καὶ ἀληθινὸς(真実)である。

 

→πολυ(富む)+έλεος(恵み)、ヘブライ語2単語で表す意味をギリシャ語では形容的接頭辞を付けて1単語にしている。

 

(7節)<恵みを千代まで保ち>

    καὶ δικαιοσύνην(義) διατηρῶν(を保ち)

      καὶ ποιῶν(する) ἔλεος (恵み)εἰς(まで) χιλιάδας(千代)

 

→ヘブル語原典では「保つ」のは「恵み」であるが、ギリシャ語訳では「義を保つ」と解説的挿入がされている。

ヘレニストにとって「恵み」( ἔλεος)は行うものであって、状態に対して用いる「保つ」( διατηρῶν)では通じなかったのかもしれない。

 しかし、主が語っていない語である<義>(δικαιοσύνην)を持ち出してくるというのは驚きである。

もちろん、「罰すべき者を必ず罰して、」と義について語ってはいるのだが。

 

七十人訳ギリシャ語聖書が作られた経緯が異邦人(ギリシャ語圏)の支配者からの要請であったことを勘案すれば、神の命令によるもの(ヘブル語トラー)と人の命令によるもの(七十人訳ギリシャ語聖書)との差が出るということかも知れない。