トロイ物語より07


アキレスは生まれたとき、母親、女神テティスが冥府に流れるステクス川で水浴させ、不死身にさせたのだが、母親が握っていた踵(かかと)の部分だけ水に触れなかったのである。

アキレスの弱点は踵、アキレス腱である。

ジークフリードの伝説と同じですね。

そして、パリスは矢を放ったが、アキレスの踵に命中した。これにより、アキレスは絶命した。パリスは弓の名手であった。

(一説には、加速装置の片側が壊れてバランスを失ったとも・サイボーグ009より)

アキレスの死については、他の誰よりも、ブリセーイスが歎き悲しんだという。


トロイ物語より08


「まるで木馬だな。」ホワイトベースを見てシャーはそう呟いた。

トロイの木馬:普通のプログラムのように見せかけてコンピュータに侵入する不正プログラム。実行されると破壊活動を開始したり、悪意の第三者がネットワーク経由でコンピュータに不正アクセスするのを助けたりする。基本的に他のファイルに感染せず、自身では、複製や増殖活動を行わないものを指す。

オッデセウスが言うには、大きな木馬を造り、ギリシャの精兵をその中に潜ませ、残りの全軍は船でテネドス島の島影に隠す。
夜のうちにギリシャ軍がトロイから引き揚げたかのように見せなくてはならない。

トロイア勢は城内に木馬を引き入れるだろうか。

叙事詩オデッセイアで楽人が語るには、
意見は三つに分かれ、非情の刃で木馬の腹を切り裂けという者。崖の縁へ曳いてゆき、断崖から突き落とせという者。神意を慰める見事な奉納品として、そのままその場に置けという者。

巨大な木馬をトロイエの町がその懐に入れた時、滅亡の運命は定まったのであった。

かくして、トロイは炎上した。



トロイ物語より09(補足)


ものはついで、ナウシカの話もしましょう。

もちろん、「風の谷のナウシカ」のモデルです。

ホロメスの叙事詩「オッデセイア」に登場します。

ナウシカは、歌と竪琴を愛し、俊足で空想的で自然とたわむれることが好きな少女なのだそうだ。

漂着した、オデッセウスの血まみれの姿にも怖れず助け出した姫君であるそうだ。

叙事詩オッデセイアのテーマは一言で言えば「貞節」。ナウシカは物語の構成上オッデセウス夫妻に次ぐ重要な役割を与えられている。


ということで、今回はおしまい。






昔書いた文の掲載です。少し古いかも。



トロイ物語より01(序)



最近、上映された「トロイ」も見たし、昔の「ヘレン・オブ・トロイ」も見ました。

両者比較して、同じ物語なのに、構成が全然違いますね。「ヘレン・オブ・トロイ」は、古さは隠し切れないものの、ヘレネが中心に画かれています。

トロイアの王子パリスが和平の使者を志願してスパルタに赴く途中、船が難破します。パリスだけが砂浜に倒れているところを、偶然ヘレネがパリスを助ける。
いつのまにか恋に落ちて、運命のように二人はトロイに。

「トロイ」の方はアキレス中心。筋肉ムキムキ。ヘレネは脇役ですね。
逆に、「ヘレン・オブ・トロイ」の方は、鎧・兜は美々しいのですが、勇者の出番は僅か。

ブリセーイスを中心に構成するか、ヘレネを中心にして物語を書くかはともかくとして、統治の方法として、卑弥呼のように女性を中心として「君臨すれど統治せず」方式は、まつりごと(政治)の常套手段か。

「風の谷のナウシカ(コミック)」でクシャナを慕って第3軍が危機を顧みず集結してくる様は涙をそそる。


トロイ物語より02



トロイアは、地中海海上貿易により繁栄を極め、驚くべき程の富を蓄えていた。

トロイ戦争の原因はトロイの王子パリスが、スパルタの王妃ヘレネをかどわかしてトロイに引き連れて来た事によるとされている。

ここに、ホロメスの詩にも語られた、トロイアとギリシャ全軍による10年に及ぶトロイ戦争が勃発した。

ギリシャ全軍を率いるアガメムノンの課題は、ミケーネ・トロイアに対してギリシャによる徹底的な富の収奪にあった。




(ミケーネの言葉の使い方については、あまり突っ込まないでね)



トロイ物語より03


ヘレネはスパルタの王妃レダと大神ゼウスの娘である。

ゼウスは白鳥に姿を変えレダに求愛したと伝えられる。その姿が白鳥座である。

レダは夫テュンダレオスとの間にクリタイメストラ(アガメムノン・ギリシャ軍の総大将の妻)とカストル(双子座の兄)、ゼウスとの間にヘレネとポルックス(双子座の弟)を産んだとされている。

誕生の時から神話化されているのである。

ヘレネの名は、バルバロイ(異民族・異なる言葉を喋るもの)の対比やヘレニズム(ギリシャ精神という意味で)の言葉が示す様に、ギリシャそのものであると言えなくもない。



(物語だからあまり突っ込まないでね)



トロイ物語より04



何故、パリスとヘレネが駆け落ちしたか、その理由。

テティスとペレウスの結婚式に、唯一人招かれなかった「争いの女神エリス」は、

災いの種を蒔いてやろうして、黄金のりんごに「最も美しい女神に」と記して、結婚式の会場に投げ込んだ。

大勢の女神は、皆、自分のものだと思ったが、中でも、ヘラ、アテナ、アフロディティの3人は、自分のものだと言って譲らず、ゼウスの判定を求めた。

ゼウスは自分が審判するのは拙い、と考え、「イダの山のパリスに判定してもらえ。」と言った。

それで、女神たちは、パリスに取引条件を申し出た。

ヘラ:権力と富を与える。
アテナ:戦いの勝利と名誉を与える。
アフロディティ:世界で一番美しい女性を与える。

パリスの選んだのは、世界で一番美しい女性であった。


このような理由で、世界で一番美しい女性、ヘレネをパリスは神より与えられたのである。

これが、トロイア戦争のきっかけであった。




トロイ物語より05


足速きアキレスと称されるが、正に、映画「トロイ」の活躍の様であろうか。(加速装置が付いているとは言わないが)。ギリシャ軍随一の勇者として登場する。

イリアスの幕開けから「アキレスの怒り」が主題であるが、この怒りはアキレスにおいてもどうする事も出来ない「怒り」であり、「どうしてこんな事になるのか」という叫びでもある。

ホロメスの叙事詩では、戦士は戦車で移動し、戦う時には戦車から降りて闘った。

山岳地であるため、戦車上では不安定で、戦車に乗っている戦士と地上に降りている戦士との闘いでは、地上に立っている戦士が勝つ。

また、戦士の強さには序列があり、必ず、強い方が勝ったと言う人もいる。

叙事詩的には、「アキレスは名誉のために、オッデセウスはギリシャのために、アガメムノンは権力のために働いた」とでも書いておこうか。



トロイ物語より06


イリアスの表現では、アキレスが語るには「戦いで奪ったものだが、私の妻」と表現してある。

とはいえ、物語の構成の上では、女神様も巫女も姫君も必要。

私のブリセーイスのイメージ
安彦良和「アリオン」のレスフィーナ
和田慎二「ピグマリオン」の水晶の君オリエ
スタジオ・ジブリ「天空の城ラピュタ」のシータ   
こんなところかな。

アガメムノンは総大将という地位をタテにアキレスが捕虜として大事にしていた少女ブリセーイスをアキレスから取り上げてしまう。
アキレスはこれを怒り、手勢と共に戦闘から身を引いてしまう。

アキレスの戦線離脱は確かに身勝手だが、アガメムノンとアキレスに主従関係はなく、ギリシャは緩やかな連合体であったと思われる。

また、発言権も基本的には原始民主制であるが、戦場の働きに応じて付与された。一般の兵士に発言も機会も無くは無かったが、アガメムノンやアキレスは勇者であり、体格も庶民と違っていたと伝えられている。

中国で文官が成立したのは、馬上の上で弓を射ていれば、それ相応の戦働きができたためとも言われている。

とはいえ、最初の不幸の原因は、「疫病」であったため、民主主義も軍事思想も役には立たなかった。









[(問題)xが無理数であるとき、x+5が無理数であることを証明せよ。]という大学受験用の問題について考えてみる。


そもそも何故、この問題に難があるか。おわかりでしょうか。


高校生の受験政策としては、背理法を使用して解答するということでそれ以上の事を受験生たる高校生が考える事は無意味なのかも知れませんが、問題自体最初から無意味なので、無意味な勉強に終わる訳ですがね。


これは、私だけが不適切問題として取上げているのではなく、以前、典型的な駄目問題として3つくらい例として取上げた文章を読んだことがありますが、そのうちのひとつです。


背理法を使った解答例


x+5=L として、Lは有理数と仮定する。


x=L-5 と変形できる。


ここで、 L-5 はLが有理数であれば L-5は有理数である。


これはxが無理数であることと矛盾する。


よって、Lは無理数である。


よって、x+5は無理数である。



もともと、xが無理数か有理数か普通は判らないのが常識的(数学の)で、そんなことが簡単に判らないので、大学の解析学の教程があるのだそうです。


聞く所によると、数学者の頭の中は、「学部生が無理数なんて理解できるわけがない」というのがあたりまえのことで、無神経に無理数を論じる事は嫌がられる事だと聞いています。


私も解析の単位は優をもらっていますが、そんな程度の理解では、戸場口にも立てないのが本当の所です。


ましてや、高校生が無理数を論じるのはナンセンス。


だいたい、xが無理数か有理数か判別できるかどうかが大問題で、高校でそんなことは教えないので、(教える事は無理数と有理数という言葉があるという事実だけ。本質については何も教えないし、教えられない)。


3(ルート3)が無理数であることを証明できるかどうか考えたらいいので、そんなことは高校生には出来ない筈。


だいたい、そんな基本的なことが証明できないのに(また背理法を使うかや?)。


無理数とは何か。有理数とは何か等の数についての厳密な違いを高校では教えない(大学でも教えてくれないけれどね)(高校生の知識では教える側も教えるのは不可能)。


本当の本当は、昔々、ピタゴラス学派は無理数を認めない方針で、反体制派が闇の中でこの背理法を論じて使ってきたという経緯があるそうだが、そんなことまで高校生に教えるのかね????


これの、まずい2つ目の理由が無理数を意識しだしてからの歴史物語やこの背理法が使われた歴史的意味に言及しないと意味が無くなるので、そうすると、滅茶苦茶ややこやしい話しになるのだよね。(高校数学の話しではなくなる。)


とはいうものの、無理数と有理数の違いを私の言葉で解説してみましょう。


数学には数直線というものがあり、数直線上に数は並んでいるとされています。


無理数というものはどういうものかというと、この数直線のどこかを掴んでポキリと折ってやる。すると、どこかに破断点が得られるはずです。


原点0から破断点の長さが無理数と言う訳です。この破断点は確実に存在するのですが、この原点0からの長さの計測を試みるとすると考えられる事があります。


それは、厳密な測定は不可能だという事実です。


概算は可能です。しかし、計測精度を上げれば上げる程、それ以上の精度以下の計測値は得られない事が判ります。(これは物理学でいう不確定性理論の事とは違います。不確定性理論との整合性については後で論述します。)


破断点は確実に存在するが、10進法の数値で表現する事は数学的には不可能であることが理解できるでしょうか。


実は有理数というのは特別の数で、10進数等で表される数字という表現よりも10進数等で宣言された特別な(無理数との対比において特別)数であるという表現が適切であろう。


例えば、整数1という数字も1という宣言をした観念的な数であって(数直線上の数としては)1という宣言をしたため、0.1以下の数を問われないのであって、現実に1と言う部分で数直線を破断できるかどうか考えれば無理なのである。それは、現実に破断すると考えると必ず0.1以下の現実の数値が問題となるからである。


実際の数直線上の構成は無理数の海の中に有理数が漂っている様なイメージなのである。


では、物理学の考える空間での直線はどういったものであろうか。


ゼノンのパラドックスというものはご存知であろう。


先行する亀を韋駄天のアキレウスは追い抜けないというものでる。


現実の世界ではアキレウスはあっさりと亀を追い抜いてしまうのである。何故か?


実際の物理空間上数直線が数学上の無理数で満たされた海の様な存在ならばひょっとしたらゼノンのパラドックスは有効に機能して、アキレウスは亀に永遠に追いつくことが出来ないのかも知れません。


一つには、時間という概念が物理空間に働いていると言う事と、プランク公数が機能していると言う事でしょうか。


前述した不確定性原理により、プランク公数以下の精度の計測が無意味というより、それより微小の世界での出来事は我々にとって全く別世界の物理法則が働く出来事と認識されるような事となるためです。


したがって、数学で定義する数直線は物理の法則が働く我々の生活している現実の空間では意味を成さないからです。




従来、緑青(銅の青い錆び)について猛毒であると言われていたが、実際には毒として歴史上も用いられたと言う事例も無い。


大学生の時、ゼミ(研究室)で、メンバーの家業の商店で漬物の色づけに緑青を用いていることが、悪いことだという話しになったので、私は、緑青が毒って言うけれど本当?って論陣を張ったのだが。


助教授まで話しに加わって「毒でないと言うどんな証拠を持っているんだ」と詰め寄られたのだが、絶妙のタイミングで、お昼のNHKニュースで「緑青は毒でないことが判明しました。」とまさに議論の最中に流れてきた。


私:「NHKのニュースでアア言ってますよ」。流石に先生も沈黙した。

今になって、その背景をインターネットで調べてみるとこの様な背景があったみたいです。


その当時、厚生省が緑青の毒性について、独自の研究テーマとしてとりあげた経緯と背景については、次ぎのとおりです。


緑青が昔から猛毒だと言われている一方、銅センターの依頼を受けて東京大学が過去1961年(昭和36年)、1974年(昭和49年)の2回にわたって、緑青の毒性について調査を行い、毒性はそれほどでないという結果が出されました。


そのため厚生省にいろいろと照会がありましたので、厚生省としてはいずれであるかをはっきりさせる必要性がありました。


東京大学の実験結果が学会で報告されていることから、行政のレベルでも銅の毒性をはっきり確認しておく必要があったのです。


これは感性の問題であるのですが、常識と呼ばれることでもこういう事があるのです。


まさか、議論中にテレビ放送によってリアルタイムのタイミングで助けられるとは驚き。グッド・タイミングでした。


「モンブランを円で購入」

購入時に丸善で日本人の店員に日本円で買いたいと申し出たら、「最近は円も強くなりましたから・・・。」と、渋々円で売ってくれました。

パリのキャッシャー【ユーロ導入前にはパリの市街のいたるところで個人経営の両替屋があった。】では、円をフランに両替しようとすると、「サンキュ~!」と英語で応えてくれました。【パリは大都会で国際都市なんだ。今思えは。】

あやうく、日本人からマルク出せって言われそうでした。

本当は、最初は、円で品物を買っても良い様な事を店側ははっきり言っていたのですが、いざ、お金を出そうとすると、「マルクでないとやっぱり売れない」というような泣き事を言われましたが、頑張って円で購入しました。

(他の人は、ドルで品物を購入・私は単なる意地の世界)

「あなたは、この品物を私に円で販売すると、何か困る事がありますか?何かペナルティがありますか?」店員の答えは「その様な事はありません。」(だったら、円で売れ!)(結果は、円で購入に成功)

【イタリアのミラノでは円は通用せず。ドルで品物を購入しました。「トラベラーズチェックで購入したのでドルは所持しているのですが。」】

「4つ星のカフェ」

現地在住の日本人ガイドに引き連れられて、ライン川畔のカフェに行きました。

4つ星のレストランが経営しているカフェで不思議な事にそのカフェ自体が4つ星だというのです。

「4つ星のカフェ????」勿論、今まで、調べてみましたが、そんな不思議なカフェは探し当りません。

しかし、現地ガイド(決して職業ガイドではないです。その頃は、デュッセルドルフでガイド業は成り立たないでしょう)が究極の切り札にしている現地ネタ。

カフェの隣は直ぐライン川です。雄大なラインの眺めを見つつ少しだけ散歩。「舟は実際にはいないけれど、ほとんど運河ですね。」

ライン川の標識は源流から○●Km地点という感じで河川標識が設置されているそうです。日本の場合の河口から△▲Kmというものとは逆の記述がなされているということでした。

流石に、ドイツとパリでは気候が違って、少し寒ければ人々は早くも薄手のコートを纏います。

実際には、メインメニューは工場見学でしたので、市内をバスで一巡してタイムオーバーなので、カフェに寄る時間程度しか持ち時間はないのです。

「ドイツ料理」

ドイツ料理は大雑把ですが、大変なボリュームです。

私に運ばれたお肉は多少小ぶりであったのですが、全部食べました。それ以降、お腹の調子が悪くなりました。

私が食べている様を、「気が狂ったかと思いました。」と言われたのですが、誰も、お肉を全部平らげた人はいませんでした。(本当は、ウエイトレスのお姉さんが全部食べろって目で言っているので・それ故全部食べた訳なのですが)

本当に、全部お肉を平らげるのは必死で食べました。

ビールは日本のビールとは違って、アルコール分が低く、水代わりに飲まれています。流石に日本のビールの様なアルコール度の高いものをドイツ人が水代わりに飲んでいる訳では無いようです。

そのうち、バルセロナとミラノの話も いずれ。