福島レポート | roomLBN AKIのブログ

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フェルデンクライス等のレッスンルームの加藤"AKI"章利です。
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こんにちは加藤"AKI"章利です。

すでに9回目となった「フェルデンの会」による、福島県、南矢野目の仮設住宅での施術ボランティアに参加してきました。
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残念ながら私は毎回は参加出来ていませんが、行くたびに福島の方々から、色んなお話を伺います。

回数も重ねてきたおかげで、
受けてくれる皆さんも心待ちにしていただけているようです。

今回(3/16)伺ったお話です。

まずはじめに、
「東京の人はオリンピックの事で、もうこっち(福島)のことなんか忘れてしまったんじゃないですかぁ?」
という、質問を投げかけられました。

被災され、冷暖房のないザコ寝のような避難所の生活から仮設住宅へ移転した頃は、それは喜んだそうです。そして毎週末のように東京のみならず、全国、外国からも人が訪れて、色んなイベント等が多数行われていました。

震災から3年が経った今では、それほど多くのイベントは行われなくなっているようです。

実際、先の見えない行政側の対応策の遅れ等の不安から、自ら仮設を出て新たな地へいく方々も増えているとか。
しかしそう出来るのは、財力があり、家族親族の協力があればこそ。

ご家族を失った、お年寄りの方などは到底考えることも難しいのです。

とあるご主人のお話。
夜になり、特にすることがなくなるとご夫婦で決まって、
「これからどうしようか」
というような話になるそうです。その方の場合、被災はされましたが、津波は免れ、幸いにも建物はさしたる損傷もなく、国の許可さえ下りれば今すぐにでも住むことが出来る状態だそうです。(もちろんそれには、ガス、上・下水道そして電気、医療衛生施設などのインフラが整備されることが必要になります)
最も重要なのは、キチンとした除染が行われ、しかるべき線量に落ち着き、住んでも安全ですという行政側の許可があればこそなのです。
その方の場合は、早く除染を進めてもらい、また元の暮らしがしたいと願っているそうです。
ですが、その話になると奥様は少し違っているといいます。ご主人は生まれ育ったその土地への想いが強くあり、いつでも帰りたい、暮らしたい、という気持ちなのです。でも、嫁いで来られた奥様にとっては、そこまでの想いがなく、それよりもっと安全な別のところがいい…となり、結論の出ないまま話は平行線、その重い空気のまま毎回話は頓挫してしまうそうです。

もちろん除染が進むことは大切です。ただこの方のように残った建物がいつでも住める状態のお宅ばかりでは無く、全、半壊している方も相当数おられ、その方にとってはまた別の想いをされているようです。

津波で何もかも失った方などは、ゼロスタート(実状はマイナスのスタートですが)に踏み切ることになりますが、家屋が残っている場合は、それがネックになり先へと進めないのです。

簡単に被災者へ一律の補助金を渡すだけでは解決とは言えないのですね。

とあるご高齢の方は、
「こうして色んな方々に助けてもらってありがたい、もっと何かやらなければと思ってるけどなかなか出来ないの…」

この方も先への希望が持てない事が大きな影を落としているようです。
これまでは元気に農作業してきて、健康だったそうです。震災後、仮設生活になってからの様々なストレスによる不調で辛そうでした。

また、とあるご家庭の話。
そのお宅には小学校へ通うお子さんがいます。仮設へ来たことで学校も変わらなければならなくなりました。それが仮設のそばに公立の小学校があるのに、わざわざ遠くまで通わなけれはならないとなったそうです。学校側の受け入れが出来ないと…ほんの一人、二人のお子さんの話です。条例や規定、前例がない等、行政上の理由も絡んでいるとか。私にはただの言い訳としか思えませんが。
津波の被害についてはそれなりに復興が進んでいるところも増えているようですが、こと原発事故による状況はその直後とほとんど変わりがなく、いまも緊急事態であり、落ち着いてなどいないのです。ただその状態に慣れてしまっているだけ、非常事態であることに変わりはないのです。

このようなお話は、主に他の居住者の方がいない時に発せられました。一人一人、想いも違い、みんなが辛い事をわかっているので、愚痴のようなことを口にする事も無意識に避けているようです。そのように内に溜めてしまっていることのストレスはいかばかりかとたやすく想像できます。

行ってみると痛感しますが、仮設住宅は文字通り仮設であって、年単位で暮らすような所ではないのです。既に2年近くそこに住まい、いくらかの補助金で生活は出来ますが、数年後にはここから出なくてはならない、というリミットだけがあり、安住の地への希望、展望はないのです。

3年が経ち、私も含めどこか他人事のように感じてしまっている多くの方々はもっと当事者として意識を持つべきだと私は思います。
そして一日も早く平穏な日々の生活に戻られるように何かしていかなければと感じました。

あと一点だけ、
冒頭の「オリンピックで、福島を忘れて…」
の質問に私はこう答えました。
「忘れてませんよ、こうしてまたきましたし。それと私の周りでは東京オリンピックで全然盛り上がっていませんし、私自身は全然前向きじゃないですよ。」

最後まで読んでいただきありがとうごさいました。

長文失礼しました。

加藤