先日兄の『未完LIVE』にスタッフとして参加させていただいて、その中の演目の中にも出ていたりだとか、前友の方との話の中にも出てきたので、改めて兄の第二回ソロ公演『Father』のために自分が書いたOPとEDの脚本を読み直してみました。
OP演目の「向日葵の憂鬱」
ED演目の「向日葵の報告」
この時の兄上の公演のテーマが「育(はぐく)くむ」だったことと、脚本とどっちが早かったのか忘れてしまいましたが兄が向日葵を育て始めていたことから、”向日葵”を主題にした物語を考え始めたことは覚えています。
テーマが「育くむ」ということだったのでとりあえず『育』という漢字を辞書で引いたり漢字の成り立ちを調べたり色々して、そこから「育てる」と「育む」の違いを自分なりに考え一つの物語にしたのですが、僕は臆面もなく自分の作品を称賛できる能力があるので言いますが、いやーなかなかに素晴らしい脚本じゃないか笑
こうして読み直してみると、セリフ付きでもう一回公演してみたいと思いました。
兄上のセリフ無しの演目も僕の中では全てのソロ公演の作品の中で一・二を争うほど好きなのですが、いやはやこれをしまっておくのは我ながら惜しいなと感じたほどでした。
このままではいつまでも自画自賛できてしまうので本題に入りますが、そこにはかなりわかりやすい例えと共に「育てる」と「育む」の違いが描かれておりまして、使っている漢字や意味は同じでも、二つの言葉の間には明確な差があるのです。
・『育てる』という言葉や考え方の中には、対象との間に上下、主従関係が存在していて、育てる方のエゴイズムが確実に含まれている。
モノづくりで例えれば『育てる』は0から1を生み出すことです。
・一方『育む』という言葉や考え方の中には、対象と一緒に成長していこうという思いが含まれており、モノづくりで例えるとこちらは1を10にも100にもしていく工程のことです。
この時点で違いは明白ですが、一見すると『育てる』という行いにあまり良いイメージが湧きませんよね?
ただ、『育てる』という概念が存在しなければ世界は回らないというのもまた真理なのです。
「子供を育てる」
「向日葵を育てる」
「作品を育てる」
こうした言葉を僕なりの解釈で捉えると、子供に限らず生命というのは自分たちの手に抱いた時点でエゴイズムなわけです。
向日葵もまた「向日葵を育てたい」と思うからこそ鉢植えに土を盛り種を蒔くわけですから育てる側の意思次第です。
これはモノづくりも同じです。
自分の表現したいものがあるから、伝えたいメッセージがあるからそれを形にするわけで、そもそもの動機は作り手側のエゴですよね。
しかしだからこそ世の中は回っているのです。
新たな命を全世界の母上様が育ててくださるからこそ我々は存在し、全ての存在は神様以外では人類のエゴイズムの集大成なわけです。
バイオリズムでも循環でもなく0から1を、無から有を生み出せる『育てる』という概念が人類に備わっている結果が今なわけです。
義務だろうが責任感だろうが興味本位だろうが自己の欲求を満たすためだろうが、進化や発展の前に『育てる』という概念は必要不可欠なわけです。
ただし!
ですがですが!
『育てる』だけじゃダメなんです。
0から1を無から有を生み出した後は、次はそれらを『育む』ということに挑戦していかないといけません。
子供で言うならばお腹の中にいる間は『育てる』だけれど、産まれてきたらそこからは『育む』です。
向日葵ならば芽が出る前は『育てる』だけれど、芽が出た後は『育む』
作品ならば生み出すまでは『育てる』で、生み出した後は『育む』です。
子供も向日葵も作品も、そしてそれに限らずあらゆるものは『育てた』後は『育んで』いかないといけない。
エゴのままに生み出し、生み出したものにそのままエゴで接したところで必ず反発されます。
「もっとこうしなさい!」
「ああなりなさい!」
「どうしてできないの!」
こんなことをいくら押し付けても、生み出したものは自分の思い通りになんかいきません。
0が1になった時、そこから先は一緒に成長していく『育む』の精神で接しなければいけない。
そういうメッセージを僕はこの作品に込めたんだなと、今の自分の解釈で物語を読んでました。
別にそんな大層なものでなくても『育てる』というのは僕たちの中に溢れてますよね。
「ダイエットをする!」と決意してトレーニングを始める。
自分の夢と目標のために一歩を踏み出す。
与えられた役割の中で理想的な結果を残す。
もちろん作品を作るもそうです。
日々考え育てている思考を実行に移した瞬間から、今度はそれらと共に成長する『育む』へと思考を変えていく。
人間初めてのことに失敗はつきものです。
むしろ失敗するからこそ学びが生じ、改善の機会が生まれる。
つまり失敗は成功の元というわけなのですが、現代ではその失敗が許されなくなってきていて、無言の「失敗するなよ」という圧力を受けながら生きている状態だと僕は思ってます。
だけれど、失敗のない人生ほどつまらない生き方はありません。
そしてそんな人生なんて存在しません。
世の中の意向なんて知ったこっちゃありませんが、失敗の数だけ一人前だという考えのもと、一番ダメなのはその失敗を”繰り返す”ことだということで、失敗自体はむしろ歓迎するべき事象なんです本当は。
兄の繋げてくれたご縁の先にいた方々は、それぞれにそれぞれの環境で戦い、挑戦をされている方が本当にたくさんいらっしゃいます。
誰かを応援するということ一つとっても、『育てる』だと思っている人は独りよがりで自己中心的なエゴを撒き散らしていることでしょう。
ただ、その人と一緒に成長しようと『育む』と思っている人は、お会いする度に益々素敵で魅力的になっているなと見ていて感じます。
もう一度言いますが、僕は『育てる』という概念を否定しているわけでも、そう思っている人を悪く言いたいわけでもありません。
全ての始まりは『育てる』という概念から生じていることは間違いなく、僕もまた母上様にお腹の中で育てていただいたからこそ今があります。
ただ、一念発起して始めたことや、新しく任された仕事や役職、また今の現状をよくしたいと思っていてもなかなか上手くいかなかったり、思うように相手が動いてくれなかったり、思っていたような場所に辿り着けていないのだとしたら、一度足を止めて今の自分がその対象に向けている思いが『育てる』なのか『育む』なのかを考えてみるのも一つの手だと思います。
対象に自分は感謝の気持ちを抱けているのか、
自分が与えてもらっていることをどれだけ把握しているのか、
今の環境に感謝できているか、
その経験をちゃんと糧にできているのか、
繰り返さないように学びとできているか、
自分一人で成立していると勘違いしていないか、
自分に驕りはないか妥協はないか、
相手の意見を尊重し自分の意見も伝え切っているか、
こうしたことを自問してみるのは、決して無駄な時間にはなりません。
物事を育めている人は必ず前に進めます。
そしてその人の周りにいる人も必ず影響を受け、一緒に成長できる間柄になっていきます。
どれだけ難産でも作品を完成させられたらその事実は自信になり経験となり、そしてその作品がまた新たな作品との出会いや人との出会いに繋がっていく。
後輩でも部下でも「一緒に成長していこう!」と思って接してくれる先輩や上司に対してどうして反抗しようと思うのかって話です。
「どうしてできないのか」を考えるのもまた先輩や上司にとっての試練であり勉強の機会でもあるのです。
友達でも恋人でも伴侶でも、その関係を育もうとしていけばその後は発する言葉やふとした行動に気遣いや想いやりが自然と付与されるはずです。
兄のライブの感想は一切書いてませんが笑
その場にいらした方々とお会いして、お話しして、書きたくなったのでこの文章を書いてます。
生きていれば当然不安な時もあるし、失敗もするし、ついてないことだって起きます。
「どうして自分がこんな目に!」と嘆き誰かを怨み呪いたくなることだって誰にだって一度や二度じゃ済まないレベルで起こっている事でしょう。
上手くいかない自分。
意志の弱い自分。
最低な自分。
止められない思考の中で幾度も顔を出すこんな思いに押し潰されて、涙で枕を濡らすどころか怖くて目をつぶれないなんてこともあるでしょう。
当然全て僕の実体験たちです。
そんな時に思い浮かぶことは逃走です。
この苦しみからの逃走。
この環境からの逃走。
この戦いからの逃走。
自分からの逃走。
もちろん自分を大切にしてくれない人や場所に傷付きながらでも居続けろと言いたい訳ではなく、求めているものがその先でしか手に入らないとわかっているのに逃げようとしていないかということです。
そんな中で、どれだけやられても苦しんでも、転んでも倒れても、歯を食いしばってでも再び立ち上がり壁に、波に、困難に立ち向かっていっている人が輝かないわけがないと言いたいんです。
大切なのは”今”戦っているかです。
過去のことなんて所詮過去です。
寝言は寝てから言えって話です。
人生なんて立ち止まった所で止まっていられると思ったら大間違いで、エスカレーターのように立ち止まっていてもどんどん後退していきます。
年齢や育ちや環境や才能なんて関係ありません。
”少しでも今の状況を良くしていこうとしているか”
これが戦いの是非を分ける基準です。
あの日あの場所にそんな方はいませんでした。
だからこそ居心地が良い。
まるで全員が戦友みたいな雰囲気だからだ。
上手くいってなくてもいい。
それは成長のチャンスだから。
上手くっていっていてももちろん良い。
勇気を出したご褒美だから。
僕もこうして言葉を紡ぎ繋ぎ合わせて文章を生み出している。
それは誰かに伝えたいことがあるから。
その場で感じたことを頭と心の中で『育て』、そしてこうして文字にしながら同時に自分自身に向けても同じことを伝えている。
『育んでいる』わけだ。
そして物語は終演を迎える。
育もうとした人が、そして育まれた対象がどうなっていくのか。
それはご自身の目で直接確かめにいってみてください。
あなたのペースでいい。
あなたのやり方でいい。
あなたがいい。
2023年6月27日 明け方の清々しい朝日と共に
前田 亮
