人に何かを教えないといけない時、あなただったらどうしてますか?

 

 

 

例えば仕事で後輩や新人が入ってきてあなたが仕事を教えないといけなくなった時。

友達にゲームの操作の仕方を教える時、カードゲームのルールを教える時。

 

はたまた自分の考えや気持ちを伝える時や「あれは良くなかったんじゃないかな」って諭すように気付いていない人に教える時とかね。

 

 

 

 

 

誰だって年齢を重ねれば教える側に回りますし、そうでなくとも何かを継続して続けていけば自然とそういった機会は増えていきます。

 

誰だって一度は誰かに何かを伝える教えるという経験をしたことがあるはず。

 

 

 

 

そんな時、あなたが意識していることや気をつけていることってなんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

僕は自分がそういう立場に回った時常に念頭に置いているある考えがある。

 

 

その考え方を僕が知ったのは高校生の時です。

地元の進学高に通っていた姉上の部活の部内での金言と言いますか、ルールというか、顧問の理念だったのでしょうが「教えてもできないならそれは教えていないのと一緒」という言葉があったのです。

 

僕はそれを姉上から教えてもらいました。

高校生の頃に教えてもらったその考え方が今でも僕の中に残っていて、一度も忘れたことがありません。

 

 

 

 

だって妙に納得できません?

「確かになあ」以外の感想が出てこないもの。

 

 

 

 

新人や後輩に何かを教えて、その後その新人や後輩がそれを実行に移せないなんてことは割とあるじゃない?

 

そんな時当然教えた人や教育係の人に「何を教えた?どうやって教えた?」なんて聞いたりして、すると大抵こう返ってくるんです。

 

 

「ちゃんと教えました」って。

 

 

 

 

 

 

そう返された経験も自分がそう言った経験も僕はどちらもあります。

 

 

 

ただ今考えると「ムムッ!」って感じる。

 

 

 

 

 

 

なぜなら事実その新人くん後輩ちゃんは教えられたそれができていない。

 

 

 

果たしてこれは新人くんや後輩ちゃんに問題があるのだろうか?

というのが論点の中心になりますよね。

 

 

 

 

 

僕はそういう場合新人くんや後輩ちゃんは悪くないと擁護する立場に回る派なのです。

 

理由は自分がそう思われるのは癪だからです笑

 

 

 

 

 

自分ごととして考えた時に初めてやることが上手くいかない時に「何だよあいつ使えねー」って思われたり判断されるの嫌じゃん?

「いやいやいや、こんなの教えられてすぐさまできるわけないじゃろうがい!お前だって新人の時代はあっただろうがー!」って思いません?

 

 

僕はそう思うからこそ同じ境遇にいる人に対してそう思わないようにしている。

 

 

 

 

 

となると実際にできていないという事実の原因はどこにあるのかとなると”教えている側”にあるんじゃないかとこうなるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

ただこれも一概に「いや教えたつってもできてないやん!だからお前は教育者として失格だ!」なんて頭ごなしに罵詈雑言を言ったり思ったりなんかもしません。

 

 

ただ一辺倒な伝え方や教え方しかしていないのだとしたらそれはちょっと問題有りじゃないかなって感じます。

 

 

 

 

 

 

 

これもまた自分ごととして捉えた時に、完全にそのやり方しかないものなんて世の中にほとんどないじゃないですか。

しかも人によって考え方も感じ方も哲学も体型も場合によっては性別も違う人に対して、「これはこうだから!」だけで通じると、思っている方に問題があると考えるのはそんなに突拍子もないことじゃないと思います。

 

 

 

例えば「この掃除の仕方を教えておいて」とお願いされたとして、そこを”どれくらい綺麗にするのか”というのは人によって完全に異なる部分ですよね。

 

 

 

それを「これを使ってまずここを綺麗にしといて」ってだけ言って、「いや、ちゃんと私は教えたじゃない」って言われてもって話なのです。

 

 

 

 

「綺麗にってどれくらい?」って思いますよね?

その人にとっての綺麗と自分にとっての綺麗の擦り合わせができていない上で仮に新人くんや後輩ちゃんが掃除をしたとしても、仮に早く終わらせて雑だったら「できていないじゃん!」だし、遅くて綺麗だったら「そんなに丁寧にしなくてもいいから」になります。

 

 

 

 

 

 

 

世の中のほとんどのことを慣れてくると僕らは感覚でやっている部分が大いにあって、ついついそれを誰もがわかってくれるし察してくれると思ってしまう。

そしてそれが当たり前な基準だと思ってそもそもそうしたことにまで気が回らなくなる。

 

 

 

本来ならその人に合わせて「僕はこういう考えのもとこれくらいの綺麗さで毎回掃除をしてます。そして大体これくらいの時間で終わるように動いているよ。」って伝えていくのがベストなんじゃないかなと。

 

 

そしてそれでも上手く意思の疎通が測れないとしたらアプローチを変えてってやっていくのが教える側の心持ちなんですきっと。

というか自分が新人だったらそういう人に教えてもらいたいと切実に願うからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教えたつもり」という言葉を昔よく先生とか母上様に言われた記憶があります。

 

 

「〜したつもりだった」というのはダメだよと。

 

 

 

 

ちゃんと確認して確実な状態にしておかないと誰も得しないから的なニュアンスで当時から受け止めていたけれど、確かになと今ならなおさら理解ができます。

 

 

 

 

 

 

教えたけどできないということに対して「何でできないの?」とめくじらを立てて詰め寄ったところで何も解決しません。

 

相手が萎縮してわからない部分を「わかりました」と嘘つくようになるだけです。

 

 

 

それがまた次の失敗に繋がって、でもそれを隠すようになってと大きな事故に繋がる原因を生み出すことにもなりかねません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとね、こうした考え方を伝えていきたいなって思う今日この頃なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは今日はこの辺で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽にいこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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