西日本は雨。
関東は30度近い日が続いていたようですし、
暑さや豪雨、心配だし気が滅入ります。
さて。
以前、気質 や、子育ての難しさ について少しふれたのですが、それについてぼんやり、でも強く、思うこと。
子育ての困難を感じるたびに、
私には私自身を責める感情が強くありました。
特に、自分の嫌だなと思っている面を子どもたちに感じた時、さらにそういった面によって子どもたち自身が悩まされているのを見た時。
私はまるで鏡を見ているように感じました。
そしてそのたびに
私自身が解決すれば、子どもたちも解決できるのではないかと、考えるようになり、思い悩みました。
言い換えれば、
私自身が解決できなければ、子どもたちも解決できない。
だから、私が問題なのだと。
いろんな本や記事を読んだりするたびに益々混乱することもありました。
何を学んでも、しっくりこず、これは自分自身で納得いくまで調べ考えつくさないと答えをみつけられないのか と思いました。
それと同時に、考えすぎるのをやめるべきではないか とも思いました。
何か改善策をみつけて、乗り越えられた方というのは、
同じ苦しみを感じている誰かに「伝えたい助けたい」と強い想いが溢れるのは自然なことで、
SNSなど、個人レベルの方が、とてもたくさん情報発信されており、あまりの量と熱量にかえって面食らって落ち込むこともありました。
そして、やっぱり、自分自身で見つけたいと思ってしまうのです。
ある日突然、「あ、そうか!」と、腑に落ちる日が来るのではないかと。
実際に、そう思うくらいに、なんだか濃い霧がパッとはれたように感じることもありました。
ですが、気がつくと、また霧はかかっていき、濃い霧の中に立っている自分がいたりして。
そんなことをいまでも繰り返している最中ではあるのですが、
最近は、なんだかそういう自分を受け止められるようになって来た気がします。
それは少しずつではありますが、増えているような。
よく、「真面目すぎる」とか、「もっと適当に」とか言われるけど、
その度合は、人それぞれだし、人の言うそれが自分にとっては居心地が悪いのだから、できるわけがない。そして、そんな
「できない自分」を責めてしまう。
だけど、最近は、「できない自分」を受け止められるようになってきて、「まあ仕方ないな」って、流せることが増えてきた気がします。
どうしてだろう。
色々自分なりに悩みながら見聞きしてきたことが、少しずつ自分の中で折り合いつけてきたんだろうか。
まだまだ時間はかかるし、時にまた「後退しているのでは?」と感じることもあるけれど、
ジワジワと螺旋階段を登るように、前進している気がします。
はて。明日の私は、どんなふうに思うかな