また6年くらい経っちゃった?
この6年間は私にとって大きく変化した。
コロナ騒動が世界中であり、フラメンコもできなくなり、仕事は最後まで感染に気を付けなければいけない身となり卑屈になり、
忙しくなり、そのうちに更年期らしきが始まった。
コロナ騒動が終わるころには、十何年間も私の生活の一部であったフラメンコへのモチベーションが終息した。
踊りたいヌメロが全て踊れた。最後はやはり箱の中で観客のいる一つの丸い空間の中でソレアは踊りたかった。
でも残念だが配信だった。
昔始めてのソロそして高円寺のエスペランサで踊ったとき、プロとの共演の凄さと客の暖かさが全て一つになり、丸い球形の空間の中で踊っている高揚感を感じた。良い思い出だ。
フラメンコはやめてから一回もフラメンコシューズを履いていない。
今の自分は仕事と家の往復の毎日。
趣味は一人旅、友人との酒、家でのyoutube三昧。全部楽しい。
老後の心配が人よりかなり激しく、投資も数年前から始めて増えるもんだから色々試している。
車の運転が仕事でもプライベートでもたくさんあるため事故ってしまったらいつ死んでもおかしくない。
なので子供たちへどこに何があるかを紙にしたため、たまに更新している。
いつ終われてもいいように。
家族の環境も全く変わってしまった。
疎遠ではあるが父もなくなり、母は追うように強い認知となり施設にいる。
そのための資金作りに私は協力して、母の住む家を売ってあげた。
その時、産みの母が父と結婚する前の日記、その後の日記も。
父が残した私の母とのやりとりのノートなど発見することができた。まるで将来大人になった私が読むだろうと用意されていたかのようなノートだった。
育ての母の趣味がたくさん詰まった物たちがたくさん。この人は愛は得たがその才能はもったいなくも誰にも見せられず終わってしまった。
父という人間、母という人間を知る事ができた。私のルーツのかけらを沢山発見できてうれしかった。
妹はなかなか普通の生活が始められない人で、その売って母の生涯の施設代として作ったお金から毎月使い込んで自分の生活費にあてているようだ、呆れる。まあ、今の母の実の娘なのだから、娘が生きるためなら認知症の母も許すだろうか?
寂しいのは娘が誰も予想しなかった地方への配属だった。まさかの東京都出身でそこに配属?という驚き。
出世コースなのかは知らんがいつか丸ビル隣りの本社へおさまるのだろうか。
2~3年経つ今も私だけポッカリ心に穴が開いている。
一番の心配は息子だ。仕事は一回も変わった事もなく命をおとしてもおかしくない労働時間から少しは手を抜けるようになっただろうか。でもそのかわりに人としての基本的な生活のイロハをしない30歳になってしまった。
家の事を私が全てやっている。息子と2人で生活しているが、私が老人になり動けなくなったらどうなるのか、考えても恐ろしい。
私は50になる前にと49歳で婚活してみたが、息子との生活をどう変えてよいか分からなかったため結局、私には結婚は無理なことがわかった。
今だけの考えかもしれないが、この数年の結論はそうだ。
結婚していた期間以外、恋愛には全く困らなかった。でも、恋愛と言えたのか、ただその人を利用していただけなのか自分でもよくわからない。40代は恋愛は楽しかったし何事にもアクティブだったので忙しくこなせたが、現在の私にはぜんぜん興味なくなった。一人の時間が多くなってきてそのうち気軽に楽しめる友人が少なくなりそう。でもまだ飲める友達がいるからいっか。
50代、仕事人間。
仕事をいつ終えようか計画、毎日興味深々で年金生活してる人の情報を集めちゃったりする。
70歳まで今の仕事で働きたいなんて100%思わない。
本来の仕事は60~64で辞めるつもり(まだ先は長いなぁ)。
きっとまた数年後、ここに書きに来るかもしれない。その時はどうなっているかな。