オンライン受験講師シゲノブです。



今日は、僕が父から学んだ
人を人として扱う
ということについてです。


「受験と関係なくない?」
と思った方、大アリです。

むしろ僕が思う
人生を豊かにする大学受験
には欠かせません。


受験に関して、親や先生と衝突する
受験生もいると思います。

それは、
親や先生があなたのことを
考えているからなので
一概には言えませんが、

今日はそのことに関して
僕が思うことを書きます。



もちろん
受験生にも読んでいただきたいのですが、

それ以上に受験生を教える側の方、
受験を控えるお子さんのいる方
に特に読んで頂きたいです。

僕は子も持たない21歳の大学生なので
「ふ〜ん」程度で
最後まで読み進めて頂けましたら
幸いです。



今日のタイトルは、
僕が実際に父に言われた台詞です。

僕は幼稚園から
サッカーをしていました。

それはサッカーをしていた父の影響。

父はそれがとても嬉しかったらしく、
僕のサッカー活動に対して
とても熱心に応援してくれました。

そして入部した高校のサッカー部は、
全国的にも名が有名になってきた
東京の強豪校、國學院久我山サッカー部。

父の僕に対する応援は、
より一層熱くなりました。

僕自身それがとてと嬉しかったです。


ところが、
僕の高3の夏時点の成績は
第一志望の早稲田大学に合格するには

サッカーより勉強を
優先しなければ
受からない状況でした。


高3は、部活も最後の年。

父は僕の高校サッカー最後の年を
写真に残そうと一眼レフを買いました。

普段写真など興味もない父なので
相当気合が入ってるな、と思いました。


そんな父に、
サッカーをやめて勉強を優先する
と伝えるのは正直嫌でした。

ですが、それでも
早稲田に行きたい。

今まで父と二人三脚で
サッカーをしてきましたが、
初めてサッカーより優先したいものが
見つかったのです。


なので正直に伝えました。


「俺、サッカーやめて
   勉強を優先しようと思う。
   じゃないと早稲田受からないから。」

「そうなのか!いいじゃん。
   がんばれよ。」

「カメラ買ったのにごめんね。」

「気にすんなよ。
   大仏も撮ろうと思ってたから(笑)
   
   それに、それはお前の人生だろ。
   俺の人生じゃない。
   何であろうとしっかりやるなら
   応援するよ。」


このブログを書いていて
今気付いたのですが、

僕の両親てほんとにいい人ですね(笑)

(※僕の記憶を辿って書いているのですが、
脚色などは全くしておりません。)


あんなに応援してくれて、
あんなに気合が入ってて、
あんなカメラまで買ったのに、、

と正直僕は思います。


ですが、この会話でわかりました。


父は僕を息子としてみているのと同時に
「1人の人として」扱ってくれている

と。


「あぁなって欲しい。
  こうなって欲しい。」

そういった理想を
僕に押し付けるのではなく、

僕の考えを1人の人間の考えとして
受け取ってくれている。

と。


そして、今までも
僕は父にそうやって育てられてきたな
と気付きました。



今まで塾で3年間受験指導をして、
そしてこの活動をして、

「本当はあの大学に行きたいけど、
   親が…」

「親に無謀だって言われた…」

といった受験生を
少なからず見てきました。


それも1つの家庭の形だとは思います。



ですが、

「本当にその子はその先で
   豊かな人生を送れるのだろうか?

   自分の願いを押し殺して
   この先生きていくのだろうか?」

どうしてもそう思ってしまいます。


またこれは親子関係のみならず、
全ての人間関係に言えることです。

友人、先輩、後輩、先生、教え子、
企業、顧客、消費者、政治家、国民
そういった関係以前に

人と人である

という認識を忘れている人が
最近多いのではないかと思います。



大学受験は、
受験生にとっては
人生を変える決断を伴います。


受験生も、親も、先生も、
大学受験に関わる全ての人が

人と人の関係

で話し合い、教え合い、
学び合うことができれば、

そこから"人を人として扱う"ことを学び

その大学受験はきっと
その先の人生を豊かにするはずです。




一大学生の思うことですが、

多くの方に読んでいただき、
多くの方の賛否の意見をお聞きしたいので

コメント、いいね、などで
反応していただけると
いただけると嬉しいです。



最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。


オンライン受験講師シゲノブ