戦争の体験記の必読書というのに私は読んでいなかった 「流れる星は生きている」 著者藤原ていさんは 昭和20年8月中国の新京(長春)で観象台に勤務の夫と長男6歳次男3歳新生児の長女と官舎に暮らす 敗戦。 引き上げて日本に帰ることに しかし夫は任務で残る「私は帰るわ あなたは仕事大事で家族は二の次!」 3人の子を連れて疎開団に同行する 

冬を越え米の配給がなくなり旅の費用がなくなる 早朝の市場へ行って捨てられたものを拾う 物乞いをする 手袋・人形を作って売る そして観象台疎開団は分裂 汽車で平壌から新幕へ ここから38度線まで歩く 逃げ遅れると私たちは殺されるのだという緊迫感 

「おかあちゃん歩けない」「正弘なにをぐずぐずしている 泣いたら置いて行くぞ」男言葉でどなる 泣く子を叱るひっぱたく 幼子3人と苦しくひもじい旅 裸足 破れた足の裏は小石がめりこみ出血と膿 かさぶた 子どもを抱きしめて川を渡る姿に何度も涙する

もう歩けない お金がないので借金の証書を書いて子どもを牛車に乗せてもらう おにぎりをそっと恵んでくれる朝鮮人にも 死んではいけないと励ます同行の人にも涙する

そしてとうとう38度線を越え 開城でアメリカ軍に救助され収容所で足裏の治療を受ける 暖かい食事が毎日配給されるのに栄養失調で衰弱した子どもには危険なことを学ぶ

ようやく体力がもどってきた そしてようやく貨車で釜山へたどり着き博多港への連絡船に乗ったのだった

 

読後に思ったこと

ていさんは気丈な人だ なんとしても子どもたちと日本に帰るという意志 生き延びるためにすることは全て肯定する 理不尽なあつかいには抗議する そのりりしさに涙した

一方 引き上げの道中に何度もみた日本人の露骨な利己主義 貨車や連絡船での同じ日本人の冷たさ 軽蔑がつらかった 子どもたちは栄養失調と下痢で着替えもなく ていさんも破れた一枚きりのブラウス姿で 乞食女め! と言われる みすぼらしさをまわりの人の冷たい憎悪の眼で知るのだった ああ、みんな命からがら帰ることができたのに 子ども連れの母親にこの嫌悪の感情はなんであろう!

 

帰路の連絡船でのくだりで私は思いだしたのだ シベリア抑留から帰国した詩人 石原吉郎さんを

ロシア語で徴用された石原さんは満州国関東軍で働き敗戦でソ連軍に逮捕 戦犯にされてシベリアへ抑留された 長期の強制労働のあと命ひとつで帰国できたのに

故郷で共産主義者とみなされ非常に警戒された 帰国して日本で絶望に至るこの人の人生

 

戦争とはなんとむごいのだ 戦後76年 戦争の理不尽を経験した人々はもうほとんどいなくなる 藤原ていさんの体験記は今も これからも 読み継がなければ

ご紹介のハイジさん この本との出会いありがとうございます