松本市美術館の石井柏亭の特別展に合わせて、「石井柏亭が愛した浅間温泉」と題して
浅間でわいわいを開催しました。
東京大空襲で焼け出された柏亭が疎開してきたのは浅間温泉の南にあった
東山温泉旅館(のち、東山観光ホテル。昭和50年代中ごろ廃業)。
ここを経営していた、片端にある上條産婦人科医院の上條善太郎に招かれ(
取りもったのは須山計一)、約1年滞在した後、
柏亭自身の所有していた野尻湖の別荘に移り、そこでの冬越しにギブアップして
浅間温泉に戻ってきて暮らしたのが、現在のギャラリーゆこもりさんの建物です。

東山温泉旅館では、上條氏に請われてせっせと絵を描きました。
旅館からの眺め、松本市内をはじめ、いろいろなところに出かけて画題を探し
多くの絵を残しています。

終戦後も晩年まで、一年の内の1/3をゆこもりさんのところで過ごし、
県内の画家をはじめ多くの文化人と交流しました。
三代澤本寿や関四郎五郎などと、居宅の縁先で撮った写真を真似て
「わいわい」の参加者で記念写真を撮りました。

参加者の方がお持ちの掛け軸を見せてくださいました。

 

柏亭が暮らした湯こもりさんの建物も、お部屋から浴室まで見せていただきました。
風情あるお庭もちょうど紅葉が見ごろで素晴らしかったです!

松本市美術館で始まった、石井柏亭展に合わせて企画しました。是非足をお運びください!

会場の湯こもりさんで現在開催中の、Rachel Omelet 展も素敵です!

松門文庫の数少ない残された蔵書のうちの1冊「癸丑日記」。松門こと窪田畔夫が10代のころ、名主であった父あるいはその下で窪田畔夫が書いた、村名主として日々の業務、出来事などを記録したものです。嘉永6年、ペリー来航の年の1年分、クセのある書体ながら丁寧に書かれています。これを文書館も博物館も受け入れないというので、このまま埋もれさせてはいけないと、ひらく会の有志で読み始めました。勉強熱心な市民学芸員の林さんが仲間に入り、3か月分を何とか読んだところで、和田村の出来事、当時の暮らしぶりを是非地元の方に知ってもらいたいと思い、窪田畔夫の家が有った場所の隣の、窪田空穂生家をお借りして、松門文庫特別講座として、1月2月の中から興味深い部分を抜粋し、出てくる人物や場所などの資料を併せて紹介・説明する講座を開催しました。参加された方から、通しで原文と翻刻、現代語訳が見たいとのご意見をいただきました。ハードルが高いですが、少しずつUPしていきたいと思います。初心者の集まりでの作業ですので、間違いなどあるかと思います。気づかれた方、コメントで指摘をお願いします。

 嘉永六年はペリー来航の年。

 

鶯谷は、窪田畔夫の父、名主である窪田八郎右衛門の雅号
太三郎は窪田畔夫の幼名(この時10代)

和歌の中の「旨」にしか見えない文字、和歌の流れでは違和感。

松門文庫の松門とは、窪田畔夫の雅号です。
窪田畔夫は和田の名主の家に生まれ、名主として
村の記録ともいうべき日記を書いていてそのうちの1冊が
松門文庫に残されていました。
嘉永6年、ペリー来航の年の日記を読む中で、
是非地元の和田の方々にも内容を知ってもらいたいと思いました。
そこで、次回の企画は、この日記をもとに、当時の村の様子を、
市民学芸員の林さんに解説していただきます。
古文書の原文に現代語訳を添えて説明しますので
古文書が読めない方でも気軽にご参加いただけます。
是非ご参加ください!

当日は会場(窪田空穂生家)の隣の、窪田空穂記念館で
「近代と文藝-空穂が見た明治の文学運動」・「最新収蔵資料公開展」

を開催しています。ちなみに、空穂生家の西隣が窪田畔夫の屋敷跡で、
窪田畔夫と空穂は親戚(結構さかのぼるようです)です。