その11.大都会になったサンパウロの曙
早くからカピタニアに指定されたサン・ヴィッセンテは、現在のサンパウロ州の海岸線、現在コーヒー豆の出荷港として有名なサントスに近い場所にある。当地にバナナ、オレンジ、サトウキビなどが導入され農業が発展していった。ブラジル最初の砂糖工場もここに建てられた。この街の裏手には、海岸山脈がそびえている。東北ブラジルの南部から南ブラジルにかけて大西洋岸に沿って走る、標高700メートル前後の細長い山脈である。海側は、急斜面が多い。潮風が当たるので、湿度が高く霧がよく発生する。こんな環境には、樹木に着生植物が多い。
1514年。サン・ヴィッセンテ在住のジョアン・ラマーリョは、インディオが利用した「海の道」と呼ばれる踏み跡をたどって山脈の上に登った。彼はそこでトゥピニキン族と出会い、酋長の娘とねんごろとなった。ポチーラという娘をもうけ、ピラチニンガと呼ばれる一帯の権力者となった。ピラチニンガとは、トゥッピ語で「干物の魚」を意味する。
1534年。パリ郊外のモンマルトルの丘に集まったイグナチオ・デ・ロヨラと同士たちによって、ジェズイッタ(イエズス会)が発足した。ローマ・カトリックを新天地の蛮族に布教する人材を育成することが趣旨である。選ばれた会士たちは、いってみれば秘境への切り込み隊員、あるいは特攻隊員である。ちなみに1549年。日本にやってきたフランシスコ・ザビエル神父は、ジェズイッタの発足メンバーの一人であるね。
1553年。ブラジル切り込み隊長のマノエル・デ・ノブレガ神父が「海の道」を登り、ラマーリョの協力を得て、ピラチニンガにヤシ小屋のコレージオ(神学校)を設けた。
1554年。ノブレガの隊員だったジョゼ・デ・アンシエッタ神父がミサを行った。サン・パウロ・ド・カンポ・デ・ピラチニンガがジェズイッタの村として発足した。
★ 今日の余談は、サン・パウロ沿岸の海岸山脈のファウナについての小知見。オレは以前、モジ・ダス・クルーゼスという街にアジトを持っていたことがある。ここから海方面に下ると海岸山脈を横切る。ここで観察できた特筆できる生き物は、まずモルフォ・カテナリウス。夏になるとヒラヒラ飛ぶ美しいシロモルフォ系だ。熱帯魚は渓流みたいなトコに、通称バルバータス・サンダー、すなわちコリドラス(スクレオミスタクス)・クローネイがいる。カテナリウスシロモルフォもバルバータス・サンダーも共通して脳天気な生き物で、たいした道具を使わないでも簡単に捕獲できるのが笑える。
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