博研・01:アマゾン博物の研究史
イントロダクション
本ブログでやってた「セラサルムスの研究」は、前回の「ナッテラー外伝」で一応の終了とした。本編13回、外伝13回だった。そこで、新しいテーマを選ぶことにした。アマゾンを始めとした南アメリカ大陸の博物学の研究史である。けっこうカタいマジなお話しだね。
現代の自然科学体系では、『博物学』というカテゴリーは、北斗奥義のように、「オマエは、もう死んでいる」と思われている(笑)。近代になって自然科学に限らず、すべての学問は細分化してしまった。小学校低学年から算数と理科、社会が別れ、長じるにつれて、もっともっと細かくなっていく。地球の事象すべてひっくるめたような、アバウトな『博物学』は、幼稚園以下、あるいはネアンデルタールの化石と考えられている。ところがであ~る。グランデ教授の提唱するネオ・サイソシオロジーでは、『博物学』というカテゴリーは、今でもビンビンに生きている(笑)。
博物学の起源
『博物学』は、自然の物象を探求する学問であるね。その発祥は紀元前に遡れる。古代ギリシャでは、哲学者のアリストテレスは、『動物誌』を著している。彼は同著で、天文学、気象学、動物学、植物学など多岐の自然事象を論じた。2000年前の古代ローマでも、政治家のプリニウスが『博物誌』を著した。彼はユニコーンやフェニックスなどの幻獣も含め、動植物や鉱物、民族や宇宙などを記述した。古代人にとって生命の躍動はまったく不可思議な存在だったんだね。特に子孫を残したいという衝動をどのように理解したらいいのか辺りは、最大の謎だった。
しかし、キリスト教がヨーロッパに普及しちゃうと、万物の起源が教会によってデフォルメされ始めた。すべては絶対神の意志により創造され、生命はその御心により生きているという説論である。とんでもない茶番だけど、進化概念すらなかった無知な民衆は、このエサに飛びついた。宗教と政治が癒着されるにつれ、博物学は布教戦術の一つに使われた。例えば、地中から化石が発掘されるという事象は、その昔ノアの洪水の際に溺れ死んだ生きのもの残骸であると説教された。本来、科学というものは、その不思議なメカニズムを解明するために探求されるはずだけど、この時代は、もっぱら宗教と政治、すなわち人を操る戦術に利用されたのである。博物学者たちは、優遇をうけるため、成果を都合よいように歪曲した。
この人操戦術は、つい最近まで(19世紀のダーウィン時代あたりまで)効果絶大だった。サピエンス種は、実は頭があまりよろしくない(笑)。
今日から「アマゾン博物の研究史」シリーズを開始するよ。ネオ・サイソシオロジーでは、「井の中のかわず、大海を知らず」理論から、「細分すると、全体感が観えない」という見地をベースにしている。
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