朝日新聞
文化面
7月3日(水)
語る
人生の贈りもの
第九の衝撃 反対された音楽の道
小林研一郎 (3)
実家の2軒隣の電器屋でラジオを買ってもらい、日本の歌を聴くのが好きでした。ある日そのラジオから流れてきた荘厳な響きは、その場に立っていられないほどの衝撃で、涙が止まりませんでした。それはベートーベンの交響曲第9番と後に分かりました。10歳の時でした。
中略
【その夢の前に立ちはだかったのは父・正穀だった】
「レコードを聴いちゃいけない」
「ピアノを弾いたらいけない」と厳しく叱られました。
中略
【猛反対の理由が分かったのは1995年、正穀の葬儀でのことだ】
知人が読み上げた弔辞に
「あなたは幼少の頃に音楽家を志し・・・」とありました。父は6人兄弟の長男。家族を食べさせるために音楽を諦め、師範学校に入り、体育教師になった。音楽で食べていく厳しさを知っているから、愛情ゆえに反対したのでしょう。
【小林が中学2年の時、正穀は考えを改めた】
福島県の作曲コンクールに参加し、西条八十の詩に1時間で曲をつけました。特賞でした。ラジオで作品が流れ、評論家の方が「ご両親に申し上げる。このように転調をするのは聴いたことがない。まれに見る才能である。伸ばしてほしい」と評してくれました。評論家が言うなら間違いないと、父は思ったのでしょうか。あるいは才能を伸ばす責任を感じたのかもしれません。間もなく、家にピアノが届きました。
この文章、感激致しました。
私は、20代の頃、○○市の市民合唱で
ベートーベン第九を歌いました。
小林研一郎のお父さんの深い思いを感じました。