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2015年、自分を再スタートさせるために旅に出たとき

書いていたブログの転記です。

大切な原点を残しておきたいと思います。

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2015.10.14

 

 

 

ここに出発する前も、

飛行機に乗っても、

最後に会社を後にしたときも、

飛行機が飛ぶ瞬間も自分でもびっくりするくらい冷静だったのは、びびってたから。

 

 

環境を変えることを決めるまでには相当悩んだし、考えた。

最後は目をつぶって決めた。

すぐには決めることができないことだったから

腹が決まった後はすっきりした。

 

 

だけど、見ないようにしてたけど、

じゃあ次に踏み出す足を一体どこに着地させるのか?という、

無限にも思える選択への果てしなさをちゃんと見たとき

怖くてびびった。

 

選んだ瞬間から始まる次の向き合うべきこと。

何かを始めるときは怖さを伴う。

 

 

これやりたい!と思っていたのに、

目の前にあるのはあまりにも白紙で、その途方のなさに、

やっとびびった。

 

 

ハワイに来てまで、そんな怖がってる自分への嫌気と、

なんで来たんだろうと思う気持ち。

 

 

そんな自分に幻滅して、一人で海に泳ぎにいったり、

ダイヤモンドヘッドまで歩いてみたり。

3日くらい、自分には何にも価値なんてないじゃん、何やってんだ?って落ち続けた。

 

 

 

 

 

 

幸せそうに過ごす人たちを見ながら、

マーケットでバナナを買って海辺で食べる。

 

せっかくハワイに来たのに、

これでいいのか?って焦りながら、

ノートに自分の気持ちを書きながら毎日数時間過ごした。

 

 

私が今考えるべきことは、

これからどうやってやりたいことを仕事にしていこうかと、

その手段を考えることではないのかもしれないな。

 

もっと根底の、ありたい姿を

考え抜くことだけで、

今はいいのかもしれない。

 

というよりも、、

ありたい姿がまだ言葉に落ち切っていないのに、

焦って手段だけ考えていても、

土台が無い状態。

 

そこがまだはっきり整理できていないのに

やりたいことをどうやって仕事にするかだけ考えてもうまくいかないよね。

 

 

ここに来た意味はきっと、

映像や単語なんかの形なって、昔からずっと

チラチラと頭の中で再生し続けているありたい姿を言葉にするためなんだろうな。

 

だからこそ、色んな生き方をしている人がいて、

日頃の考え方の枠が無理にでも外される場所に来てるんだろうな。

 

手段を考えるのは、日本でいくらでもできるんだしね。

そしてそれが得意だっていう人もたくさんいて、

力を貸してもらえるもんね。

焦り方を間違ってたかも。

 

 

まだ人が少ない朝のスタバで、そっと約束する。

凹んでも動けなくなっても、きっとそれで普通。