舞踏・ベリーダンスとストリートダンスの出会い / 繋がる感覚 | 私と流れる時間の記録

 

こんにちは、こんばんは。

 

先日ベリーダンスの発表会を見に行った主催の方と練習をすることになった。

全てのきっかけはこの現在起きていることに気づいている事だった。しかもその方は我が家から徒歩5分で行ける距離にいるからびっくりだ。

 

Youtubeにある20年前の動画と最後に所属していたグループのDVDを見てもらって、自分のソロのパートで気になった動きを教えるという事とお互いにたどってきた経歴を語るという目的だった。

 

結果から言ってしまうと、3時間半語りっぱなしで終わった。

 

タイトルにもあるように、舞踏からはじまりベリーダンスを経てオリジナルを追及している彼女とストリートダンスから演技や表現に興味を持ちオリジナルに走った私。

 

共通点がまったくない2人が驚くことに最終的に掲げていることは「空間支配」という同じ考えであった。今まで全く理解してもらえなかった自分の考えや表現したいことがこんなに一致して話が合う人はいなかった。

 

どんな曲を聴いているか持って行って聴かせた。昔使っていたiPhone6の電池を自分で交換しMP3プレイヤーとして今では外出の時は絶対に離さずに音楽を聴いていて、多くの曲が入っている中で2曲厳選して聴かせたらなんとその一曲を昔から聴いているというミラクルが起こる。

 

ダンスのスタイルが違えば聴いている音楽のジャンルも違うわけで、クラブで流れているような音楽を聴いているのであれば可能性は高いかもしれないけれども、散々上げている通りまったく違う出発点だということはなんて言ってよいかわからなくなる。

 

そしてお会いする前から発表会にゲストで出演してほしいという依頼を受けていた。その詳細を聞いたときに「あ、根本的に違うんだ」という事が分かった。もちろん過去の私のダンスのスキルなどは評価してもらっているがそこではないんです。

 

人より少しうまく表現することができる。

 

ここにあるんですよね。

それを聞いたときに、体力がなくなり10年間ダンスから離れ運動もろくにしない私でもできることがあるかもしれないという感情が出てきました。

 

40代後半になっても必要とされること、不安かもしれないけれどもチャレンジできること。これをもし断ったら数年たった後に後悔するかもしれないという未来が見える。まだ体を動かせる年齢なのだから、一度の人生だしやってみようと決意ができた。

 

コロナ前地元の商店主が主体となって行われた「まちゼミ」というイベントでJAZZのピアニストと知り合い、語り合った結果セッションすることができた。そのまま長く彼と一緒にエンターテインメントを発信していく予定だった。しかし出会ってから2年後彼は急死した。その出会いが私の表現をする最後だと思っていたのは事実。

 

そしてそれから数年後、こんな私に出演してほしいと依頼が来た。私は幸せかもしれない。今の私にはなにが表現できるのか、そして私がいる空間には何が見えるのか。