子どもや孫の立ち位置 / 一人の人格として見ているのか? | 私と流れる時間の記録

 

こんにちは、こんばんは。

 

私には子どもがいませんが、実際に子どもの時に親には「世間から見られているからやめなさい」とか「同級生や親しい知り合いの子どもと比較される」ようなことがありました。もしかしたら皆さんも記憶の片隅にそういった経験をしたことを覚えているかもしれません。

 

 

この記事のある部分が気になり、今回私が勝手に思っていることを書こうと思いました。

 

※一部記事抜粋

しかし現在、孫がいる団塊世代は受験戦争などで激しい競争を経験したため、孫への要求水準が高い。それなのに孫の理解力が足りなかったり意欲がなかったりするとイライラが募り、心臓に負担がかかりやすくなると推察されます。

 

このように孫がいる方が弊店のお客様の中には多くいます。

私は性格が悪いので、お客様に「うちの孫が〇〇大学に受かってね」等の話をされると「はい、はい」と聞き流します。

 

もちろんそうではないとは思っていますが、孫にかかる期待が大きい気がします。これは孫でなく子どもに対しても同様です。近所にいる人たちの子どもが大学に行っているから、お前も行っておきなさいのような世間と同等かそれ以上を期待する両親や祖父母。

 

子どもがまだまだ未熟な年齢であろうと立派な人格を持っています。

酷い表現とわかっていますが、こういう表現の仕方しかわかりませんのでご理解いただきたいのですが、子どもがペットのように扱われている現状もあるのではないかと思います。

 

両親は自分たちが世間にどう思われているのか、非常に敏感になりすぎていて傷つきたくないので子どもに理想を求めてしまう。結果、その子が天才的な特技を持っているかもしれないのに日本独時の周りから変に見られない様に平凡を目指すようにさせるので、才能は開花せず無駄になる。

 

現在、子どもたちにマスクをさせている大人を見ればなんとなく納得できてしまう気がしてなりません。この記事のタイトルで指摘されている「心臓病」ですが、現在では明らかにワクチンの方が多いでしょうね。