こんにちは、こんばんは。
両親と一緒にお墓参りに行ってきました。
お寺の敷地は黄色や朱色のグラデーションのかかった銀杏の絨毯で埋め尽くされていました。
夏に行ったときには、異常気象だったせいか雹が降ってきたりと散々な目にあいましたが、今回は天気に恵まれました。
気持ちよくお墓参りした後は、用事があったのでしばらく時間を取りましたがその後は代々木公園に。マスクフリーゾーンの集まりがあるという事で、10月に行ったときよりどれくらい人が増えてるのか見てきました。
ワクチン非接種・マスクは意味がないという事をわかっている人たち(家族連れがほとんど)なので、日頃から話が通じない人たちとは違い、話すことがすべて理解できる方たちなので大人も盛り上がっている様子でした。
ひとりで来ている方たちもいらっしゃいますが、1割くらいというところでしょうか。
それでも私は初対面でも声をかけられるタイプの人間なので、10月の時にお会いした方はもちろん今回も新しくお話させてもらいました。
その中で10月の時にあった方が今回も来ていて、今回のテーマの話題になりました。
映画・アニメ・ゲーム・音楽って娯楽と思っている方もいるでしょうが、かなりメッセージを秘めているものがあります。
例を挙げると・・・
映画「マトリックス」
アニメ「約束のネバーランド」
ゲーム「ファイナルファンタジー10」
音楽「ラルク・アンシエル - セール・マイ・ソール」
スピリチュアル「死後の世界」
この辺をベースに現実世界と比べてみるという、真剣に話していますが半ばエンターテインメントな話として楽しんでいました。
アニメ「約束のネバーランド」は「人身売買」のイメージが出てきます。
結構これ週刊少年ジャンプやアニメ化して大丈夫なのかと思えるような内容です。ぞっとする内容かもしれませんが、興味ある方は是非見てください。
※次のゲーム部分の話は実際にプレイしたり動画をみていないとストーリーは理解できないと思いますが、わかる人にはヒットするかもしれません。それはないか・・・。
ゲーム「ファイナルファンタジー10」は世界を救うために世界を滅ぼすもの「シン」を倒し人々の一時の平和な時期「ナギ節」を迎えることが召喚士の役目でこのゲームの趣旨になります。
この一時の平和な期間であるナギ節というのは一時と書いている通り永遠ではなく、時が経過するとまた「シン」が復活するので、代わりの召喚士がまた「シン」を倒すという終わりのないループが永遠に続く世界という事を「寺院の教え」として生まれてから学びます。
※この教えに関して、現在のコロナ脳と同じように教えこそが絶対と思い込んでいる仲間のキャラクターがいます。
またゲームの設定として召喚士がシンと戦った際には、成功しても失敗しても死にます。なので、代わりの召喚士が必要になるわけです。
ちなみにこの寺院のTOPは死人です。現在風に言うならば死んだ人のクローンという感じでしょうか。
この時点でゲームをやったことがない人でも、鋭い方はなんか今の地球上で起こっていることみたいだと思う方がいるかもしれません。
もともと世界中で寺院の教えとしてあることは「シン」は必ず復活するので、永遠に続く平和は訪れないという設定です。物語の終盤で分かるのですがこの教えはデマです。
もう少し詳しく言うと、「シン」を復活できない様に倒す方法はある(正確には見つけた)のに、支配者がそうさせないためにデマの討伐方法を教えとして世界中の人々に流し、洗脳しています。
このゲームの主人公は、この世界にゲーム上の設定では違う世界から飛ばされてきているので、常識が通用しません。
ゲームをクリアすることにより、それまでのストーリーがすべて繋がります。
私はこのゲームをプレイしたことはありませんが、5人の実況者の動画を最初から最後まで見ていますので、ほとんどの内容は把握できています。
そして驚くことに、このゲームで動かしているキャラクターや世界はすべて現在では神のような存在が長い間見ていた「夢」であったという衝撃な作品です。
異論はあるかもしれませんが、歴代のFFシリーズの中でもBEST3に入るでしょう。
少しゲームの話題が長くなったので、残りは少し大雑把に書きます。
ラルク・アンシエルの「sell my soul」の話題が出たんですが、これは好きな人でないと気づかないというか不思議に思わないかもしれません。私はほとんど邦楽は聞かないので今回この歌詞を見てどう思うか言ってほしいと言われました。
歌詞は皆さんで調べてください。ここにコピペができなかったので省略しています。
まず曲名が「魂を売る」と直訳するとなります。その時点でひっかかります。
また繰り返し出てくる「I always see you in my dream.」という歌詞と所々にある目覚めても目覚められないような状況も表現は違いますがあります。
そして一番引っかかったのは「自由に縛られてる」というところ。
縛られているのに自由というのはどういうことなのか、まったく理解ができない。そこでこの話題を出した人が言った言葉が「ムーンショット計画」。
その人はこの歌詞を改めてみた時にそれが浮かんだといいます。
肉体を捨て脳だけが活きられるバーチャルな世界。
脳とネットを繫げて永遠の命を与えられ自由になる。がしかし、実際のあなたの体は意識はバーチャル世界だが実際はベッドに縛られていて自由に動けない。
という妄想をするとなかなか面白い。この歌が発売されたのが1999年7月1日。意見が一致したのが、こんな歌詞を思いつくことができるだろうか?という事。
ここに、世界を動かしている事実があるとしてその内容を知っているような面子の誰かが第三者的な人を送り込み歌詞に手を加えていると言うバカバカしく聞こえているかもしれないが、意外に真剣に思っていたりする。
現在の音楽を収録する際に使われている周波数であったり、歌詞には大衆の深層に訴えかける仕組みがあるのかもしれませんね。
最後に「死後の世界」ですが、これはさらに簡単に書きます。これは私が勝手に興味がある事で、仮死状態になったり、一度は死んでるのかもしれないがこの世に戻ってきた人の意見が一般的に公開されているのが「三途の川があった」「一面お花畑だった」というのが有名です。
それが本当にあるのかただ見てみたいというだけです。
願わくばそれをみて、みんなに嘘だと言われてもいいので「あったよ!」と言ってみたい。
自分の周りの宗教感や価値観によって変化するという人もいるみたいなので、自分の場合はどうなっているのかという単純な好奇心です。
今回は過去最高に意味不明な内容になりましたが、大丈夫でしょうか・・・。
~ご覧いただきまして、ありがとうございました~


