少し前のことですが


渾身の5日目AA胚2個とAB胚1個

こんな良い凍結結果は久しぶりだったので

これで正常胚きてくれなきゃ困ると思っていましたが



あっっさりと全て異常胚でした


ぺらっと紙を見せられてあっさりと



前回は凍結ゼロだし

凍結できても1個とかグレードが微妙とか


1年半かけて1つの正常胚を得るために21個出したけど、決して効率的に胚盤胞を作ってこれたわけではなかった


これ以上続ける意味があるのか…?

とついに自分でそう感じました


もう疲れた


年齢が若ければ迷わず一周期休むくらい疲れていても、高齢なのでこわくて休めなかった

逆効果だったかもしれません

私は過去は休むと採卵数が増えていたので

でもこわくて休めなかった


後悔したくなくて走り続けた

過去にたくさんたくさん後悔したことがあるから




私の目標は「あと1個の正常胚」だけだったけど

まさか1年半かけても出ないとは思わなかった

43歳では結果的に1つも出なかった

まさかです、本当に


私の人生っていつもそう

まさかの奇跡や、やっと報われた!みたいな事が起きない

死産だってそう、私の人生はなぜこうなのだろうとつくづく思います




こんなうまくいかなくて

じゃあ採卵をあと1回、あと2回と

やっていく意味があるのかなと思いました




夫は自分が50になるということもあり

もう私には移植に進んで欲しいと思っている事は分かっていました


だから夫に相談するという事は

夫の意見を聞くという事


それを理解している上で今日はついに夫に相談しました



正常胚取得を諦めて今ある胚だけで移植に進む時期にきていると思うかと


たくさんしっかり話しました





たぶん採卵はあと1回かなと思います


私にとってはものすごい事です

6年続けてきた治療の本当の終わりの部分に

自ら歩み入る瞬間なので



こわい


目標達成できずに終わって悔しい

どうして私が

こんなに頑張ってきたのに報われないでこんな幕引き



心がザワザワします


胚盤胞がたくさんできる人が羨ましい

正常胚がたくさんある人が羨ましい

醜く、弱く、ネガティブな自分が出てきます





おそらく最後の採卵周期中ですが

卵胞数めっちゃ少ないです

最後くらいはたくさんとれて有終の美を飾りたかったけれど、そこすらもだめなんかい


神などいない

あるのは現実のみ



心の保険として

どうしても諦められなければ

全部移植した後にまた細々と採卵すれば良い…

完全に諦められるまで…

とこっそり思いつつ




本音をいえば

残念、無念



ついにA胚でたよ!と言える側でいたかった

夫にそう報告したかった




全ての気持ちを抱えながら

勇気を出して次に進む時が来たようです



頑張れ私





実にくだらない話ですが

女心というものを書きたくて



夫が自分からサプリを飲んだり生活習慣を見直す重要性(後悔しないための必要性)に気付いたのは

私が9回移植してもだめで

採卵が15回を超えたあたりでしょうか

男側も何かしないとやばいのかも、と4年以上治療をしてようやく自主的に思ってくれました


なのでここ1年半はジムに行ったり

私の言った注意事項を素直に聞いてくれたり

食べ物変えたり

努力はしてくれていて

お腹の脂肪はまだすごいけれど

筋肉がムキムキになってきています


毎日のように、今日はどんなトレーニングしたか

体脂肪と筋肉量がどう変化してきたか

自慢してきます


褒めて欲しい犬のようでかわいいので

普段はすごいねぇと褒めてあげるのですが


積み重ねている夫は自信がついてきて

最近、私が太っていることをからかうようになってきていました



私は死産直後

妊娠前よりなぜか体重が減っており

その後は精神的に不安定だったせいか増えたり減ったりを短期間で繰り返してしまい


体が移植に戻れるとなった時には最大に太っていて

いつまでもメソメソしていられない、これでは妊娠に良くないと筋トレやウォーキングを毎日するようになりました

半年で7キロ痩せその後も1年キープしていました


しかし連続採卵中に

筋トレをしてしまうと採卵数が減る周期があり

(そんなエビデンスはありません、あくまで私の1周期も無駄にしたくないという気持ちからの思い込みです)

こわくなって運動はウォーキングとストレッチだけにしてしまったのです


過去の筋トレの貯金もなくなり太る体に戻っていき

6キロもリバウンドしてしまいました



周期中は食事に気をつけてもウォーキングしても太ってしまい、ホルモン剤だけのせいではなく採卵後にストレスで食べていたりする自分のだらしなさが理由なのはわかっています


採卵の結果が悪いのは太ったからかもしれない

でも移植周期と違って採卵周期は体調が良い時なんてあまりないし、うまくいってないわけだから精神的にもずっと辛いし、と言い訳をしながら過ごす自分のことも嫌で…

加齢による見た目の変化もある

色々な意味での女としての自信を失ってきていた日々だったので


夫が最近よく私の体を触ったりしてからかってくる度に傷ついていました


そして今日

私は色々思うことがあって

「移植周期を意識した、今までこわくで出来なかった筋トレとかして前に痩せた時の生活に戻そうと思う」

と夫に伝えたのです


そしたらその話題から

今の私の体に対するからかいがまた始まり

それがあまりにひどくて

いい年した太ったおばさんのわたくしは号泣



運動できる時はちゃんとして痩せていたでしょう

週5でジムに行けるあなたが羨ましい

注射も薬も採卵もしなくて良いからいつでも好きなように運動できて羨ましい

私だって出来るならしたい

でも採卵周期って体も心も辛くて

何年もやってるのにうまくいかないし

今の太ってる自分も嫌い

歩きたくてこの道を歩いてるんじゃない

こんな治療も本当はしたくないしこんな自分になりたかったわけでもない

仕事もして治療もして私なりに頑張ってる

私が太って醜いのは私が一番知っている

それでも今は私の体を笑わないで

悲しくなるから言わないで



40代の太ったスッピン(世代的にもう眉毛が二度と生えてこないマロ状態の)おばさんが

泣きながらこんな事を言っても蛙化せずに

とりあえず慌てて抱きしめ

僕が愛してることは忘れないでとか一応言ってくれるのはこの世に夫くらいしかいないので

そこはとても感謝しています



でもなんだか何もかも嫌になって

シミ取りさえ採卵してるとできないし

制約ばかりの中頑張ってるのにひどい!!!!

なんだかやる気まで削がれた

そもそもデリカシーなさすぎだろ、と

今は1人ふつふつと怒りも湧いてきている始末





ちょうど最近考えていたんです


もう採卵周期にこだわらず

体づくりは移植周期を意識しようかなと


ラクトフェリンや膣錠も再開しようかな

筋トレして適度に色んなものを食べて

運動して汗かいて

痩せて健康的な体づくりをしよう


これはあくまで私にとっては

「もう積極的な採卵を諦める」ことに等しくて

こわくてシフトチェンジできなかったのです


本来はこれが採卵周期でもベストなんだとは思うのですがね

どうしても、採卵のためにはあれを食べなきゃこれを食べなきゃ、抗酸化抗酸化!

疲れすぎてもだめとか、筋トレして血流が卵巣にいかないと困るとか、私の勝手な思い込みの採卵周期仕様があって


でももう疲れてきちゃって


そういう普通の健康的な生活に戻っていくことは

それは私にとっては心のどこかで

もし移植がだめだった時に戻らなければならない

その後の生活へのリハビリだったりして


夫が思うよりも私にとってはすごくすごくセンシティブなことだったのです


数ヶ月そんなことを考えて

今日、夫に自分なりの結論を神妙に伝えたのに

結果悲しくなって泣くという

わけわからない日になりました




それにしても

なんだかいよいよ本当に

生活を変える時期に来たんだな



新しい自分になりたい

すっかり新しくて過去とは別の自分になりたい


せっかく今むかついているのだから

なにくそと、これから痩せてやろうかな



最近よく泣いています

1人の時ですが

今朝も起きてすぐ大泣きしてしまい

昨晩も泣きました

どうしたんだろう


死産する前までは私は自分のことで泣くということは皆無に近く

映画や感動するイベントでのみ涙腺がゆるく誰よりも泣いていました


自分の感情を1人の時でさえ出さない

特に親の前だと全く出さない

闇に堕ちてうずくまる方法でやり過ごすというのは育った環境によるかもしれませんが


私にとって泣くというのはかなりの勇気が必要でハードルが高く、故に泣くという形で感情を出したことは1人の時でさえほぼありませんでした



それが子宮内胎児死亡となってから現在まで

感情の昂りを認識する過程すらなく、悲しいと思ったら次の瞬間にはもう涙が溢れてる

ポロポロととめどなく流れてくる

悲しいのだろうな、とはわかるけど

何が悲しいのか考える間もなく

5分くらいでスンと泣き止み日常に普通に戻る

別にデトックスにもなっていないと思います

涙は枯れると言いますが、枯れることはありません

泉のように何年もとめどなく終わることなく湧き出てきます


死産後1年くらいは外を歩いているだけでそうなることもありました

あるあるでしょうが、妊婦さんや赤ちゃん子供連れの親を見るのがとにかく辛い

赤ちゃんもですが、幸せのピークにいる顔をしている親側を見るのが辛く

外を歩けば100%誰かは目に入るので

道でも電車の中でもどこでも泣けてしまい、外出を避けるようになってしまいました


スーパーの帰り道、セロリがささったエコバッグを持って、泣きながらトボトボ歩いていたら夫とばったり会った時がありました

こんな私が健康的なセロリを買って歩いていること自体がより自分を惨めにさせたので、セロリをよく覚えています

夫は何も言わずに頭を撫で、手を繋いで帰ってくれました



このブログは、不妊治療の辛さを書きたくて始めました

実際の生活は不妊治療のことばかり考えてますし

これだけ頑張ったのに報われない未来に怯えて

たぶん今朝もそれが辛くて泣いたのだと思うし

常にたくさん書きたいことはあります


でも実際に書いてるのは死産のことが多くて

あれれ、となり

ふと思い出したことがありました



私は1回目の移植で稽留流産をしています

ホルモン補充周期だったのに、E2補充を6週でストップされて、数日して腹痛を訴えE2の処方を頼んだのですがクリニックには気にしすぎと言われ

その翌日自宅で軽い陣痛のようなものに2-3時間苦しんで自宅排出しました

(この時点からなんか私かわいそうじゃね?)

胎芽らしきものも見え始めていたので、ホルモン補充不足だったんじゃないのという憎しみに近い気持ちは正直今でもありますが

染色体異常だったのかもしれないし

もう知る術はありません


1回は泣いたし痛かったしショックで辛かったですが、死産の時のような地獄の底まで叩き落とされる苦しみとは少し違った

傷ついたままでも私なら乗り越えられる、強くならなくちゃ、と感じる余白があった


でも詳しいことは忘れてしまったのですが

その後1年くらいして普通の産婦人科受診をすることがありました

子宮頸がん検診か何か不安があったのか忘れましたが、2回くらい同じところを受診しました

不妊治療についてまだ知らないことも多く不安だらけで、不妊治療や自身の体について何か質問をしたのだと思います


その時医師から

「あなたは流産にとらわれすぎている。何かというと流産、流産と言っている。」

と言われました


よくあることだから、そこまで心配しなくて良い、気に病みすぎないで、ということを伝えたい雰囲気はなんとなく伝わってきましたが、ショックでした


ポイントは

私はその時「えっ、そうなの?」と思ったんです


つまり自分ではその自覚が全くなかった

どちらかというと、体のことなので、流産経験があると何かリスクや後遺症があったりとか気をつけなければいけない事はあるのかな、今後妊娠したいから聞いておきたい

くらいの気持ちだったのですが


言われてみれば

もしかしたらそうなのかも

私って流産にとらわれてるんだ

その後は化学流産ばかりだったのでそれも流産のせいかもと確かに不安に思っていた


今は、仮にそうだったとしても(実際はそんなことはないのだと思いますが)医師に聞いたって仕方ないことはわかっています

自分の不安や気持ちをどうにかするために医師に質問しても、解決策はないし、時には傷つく言葉が返ってくる

だからお気持ち表明は無駄だなと思っています

でも当時はまだヒヨッコだった


その日の帰り道に漠然と

「そうか、私は流産にとらわれているのか。知らなかった」

と思いながら歩いたのをよく覚えています


それがどんな気持ちだったのかは今でも説明できないのですが

今ブログを書き始めて

死産のことばかり書いてる自分がいて

あの時の医師からの言葉を

また漠然と思い出したわけです



今も自分が今どんな気持ちかはわからないけど

どうなんだろうな


どうして私ばっかり

こんなに辛いことがたくさん起きるんだろう

頑張ればいつかはと思って6年も経ち

いまだに足踏みしながら過去の苦しさをまた自ら味わいにいって

人生ここでストップしてしまうような感覚


みたいな感じだろうか


流産、死産経験が尾を引いてしまうのは女性としては当たり前な気がしますが

自分の人生にそんなマイノリティな事が起こってしまったという現実が悲しいのだろうか



ここまで書いて思いましたが

もしかして私、まだ死産について気持ちの整理ができていないのだろうか


私は自分なりの死生観というものはけっこうしっかりあってぶれていないのですが

それと自分の気持ちは別だし

不妊治療がうまくいっていないことだけでさえ気持ちの整理は難しいし向き合うの嫌なのに


うーん、、

でもなぁ、、


人によっては死産というものは、死別にカウントしない人もいるのは知っています

その様な扱いや発言をされたことは何度かありますし、死産でも普通に出産しなければならない事を想像すらできない人もいる

生まれる前で良かったねと言われた事もあります


でも私にとっては可愛い可愛い子供で

胎動で命は感じていたし

死別の認識です

最初からいなかったのではなくて

亡くなったのだと思っている



うーん

何かが整理できてないのかな

生きた子供を既に産んでいたらまた違ったのかな



答えのない日々を生きる