こんにちは。


今回は私の初めての愛馬(2023/5/26引退済み)について話したいと思う。


名はデイジーロック。

まずは血統についての紹介から。

父はダンカーク、母はフラワーロックの芦毛の牝馬で、

兄弟には京都二歳ステークスを勝ったジャスティンロックがいる血統。

牝系には芝のGIを勝った後、ダートに活路を見いだし砂の女王と呼ばれたホクトベガがいる。

母もその血統を受け継ぎ芝、ダートで好走し、4勝をあげている。

父は、アメリカのGIIを勝ち、日本に種牡馬としてやってきた。産駒は大きいところは勝っていないものの芝ダート問わず、まずまず活躍していた。


カタログでの印象は「目が可愛くてバランスの良い馬」だった。

当時私は競馬歴1年で一口馬主の世界に飛び込んだため馬の善し悪しなど分からなかった。

顔で選んだのち、申し訳程度に体のバランスがとか言っていた。


かくして、私の愛馬になったデイジーロック。


育成場での評価は高かった。大きな頓挫もなく美浦の尾関厩舎へ入厩。ここでも順調に乗り込みをし10月に新潟でデビュー。


デビュー戦は現地で見に行った。募集時の印象より、トモが小さく映ったものの胸前の筋肉は立派。よくここまで無事に来たなあと涙が滲んだ。

結果は中段後方を走行し10着。使いつつとの事で、まずまずのデビューを終えた。

結果として、これが1番良かった着順になってしまう訳だが

帰路では、初めて対面したかわいいかわいい愛馬がこれから厳しい勝負の世界に出なければならないことにまた涙。嬉しさと、悔しさと、切なさが入り交じった新馬戦だった。


2戦目からはWINSで応援。毎度スタートはまずまず、追走は上手なものの勝負どころで置いていかれてしまうことが多かった。

2戦目は11着、3戦目は14着。

全て同じような展開でズルズルと下がっていく姿を見ると辛いものがあった。


そうして3戦したものの変わり身を期待するのは難しいとの判断で、初の私の愛馬は引退となった。

結果として最後のレースが終わったとき、覚悟していたものの引退の知らせが来た時はかなり泣いた。


後日サラオク出品予定だったのだが屈腱炎を発症していることが発覚し、それも無しとなった。

愛馬でなくなってからも地方でまたと思っていた私に追い打ちをかけるようで、辛くてまた泣いた。


周りの人は駄馬を掴まされた、金を無駄にしたと思うのかもしれないが、私はそうは思わない。

今でもデイジーロックの出資者で良かったと思っているし、私の初めての愛馬がデイジーロックで良かったとも思っている。


育成からレースまで見守る事の幸せ、競馬場に行くことの楽しさ、競馬の難しさ。

そしてなにより馬の可愛さ。

活躍出来なかったとしても、デイジーはたくさんのことを教えてくれた。


後で書くかもしれないが私が一口馬主を始めた頃は人生で一番悩み、落ち込み、辛かった時期だった。そんな中で、デイジーロックの成長を見届けながら嬉しくなったり、心配したりしているうち、心の傷口もゆっくり癒えていくのを感じていた。


引退した馬の所在を探ることはタブーとされているが、命の恩人である愛馬が、どうかどこかの牧場で幸せに暮らしていることをどうしても願わずにはいられない。



最後に


デイジーロックへ

私の最初の愛馬になってくれてありがとう。


例え繁殖になっていたとしても、乗馬になっていても、肉馬となっていても、その死の間際まで、あなたが幸せであることを望んでいます。

いつまでも、大好きです。