こんにちは。

あにめ系あーてぃすとのあま津うにです。

昨日は私がSHOWROOMに参戦するまでの話を書きました。

今日はその先について書きたいと思います。

SHOWROOMには、音楽系の配信者はミュージック枠、アイドルの配信者はアイドル枠などいくつかのカテゴリーに分けられて配信しています。

私は始めた頃、声優・アニメ枠というカテゴリーで配信していました。

その頃全く日本のファンがいなかったので、SNSで配信を始める告知をせず、
0からSHOWROOMを始めました。

初めの頃は配信ボタンを押した瞬間に歌い始め、ほぼトークをせずひたすらアニソンを歌う配信を毎日していました。

毎日2〜3時間ぶっ通しの配信を1度だけ。

SHOWROOMに参戦したのとほぼ同時に参加したフジテレビのテレビへの出演イベント時もスタイルは変えず、"1日1度の配信だけ"をこだわって続けていました。

その時はイベントに勝つということが価値のあることなのかというのもよく分からず配信してたので。笑

そのイベントの最終日最終枠、私の配信で奇跡が起こりました。
配信を初めてたった7日間で私を知ったファンの方々が協力して50万近くのptを達成し、私は3位にランクイン、フジテレビへの出演権を獲得しました。

その時がこの界隈に本気になった瞬間でした。
「もっと上に行きたい」と。

私はそれから初めて本気でガチイベに挑みました。
"モデルプレス特集記事出演争奪オーディション"

とにかく捨て身でやった。
1日20回以上配信をして、最終日まで1位を独走して2位と30万ptくらいの差をつけた。

そして最終日最後の5分で私は2位に転落し、敗北。

その時私は配信中に悔し涙を流しました。

配信後、大島Pは
「悔し涙を絶対ファンに見せるな、見せていいのは嬉し涙だけだ」と言いました。

私はその日から今日まで一度もファンに悔し涙を見せてない。

そして「歌わずトークだけでも応援されるタレントになれないなら上には行けない」とも言いました。

その矢先に私に試練が訪れました。
『SHOWROOM全配信者カラオケ配信禁止』
※現在はDAMがアプリ自体に導入されてます。

自分の武器である歌をいきなり取り上げられたような気がしました。

私は歌以外の様々な配信を始め、
罰ゲーム用の苦い茶を飲んだり、お菓子のレビューを始めたり、部屋の中でメントスコーラをやったり食べ歩き配信をしたり、とにかく何でもやった。(中にはこっぴどく怒られた企画も...

そんなことを続ける間にファンの方々に支えられ、いつのまにか声優・アニメカテゴリーで配信すればいつもオンライブ1位(リアルタイムの中で1番人気のある配信)に行けるようになりました。

そしてクリエイターさん達たちが私のために数曲、カラオケのカバー音源をオリジナルで作ってくれました。

それが出来始めて配信で歌えるようになってから私の配信はまた歌のある配信に戻りました。
トーク力というスキルを身につけて。

大島Pはタレントとしてどう価値を見出していくか、プロ意識の持ち方を厳しく指導してくれました。
そして「配信では同じ事務所、他の事務所関係なく他演者と群れるな。自分のファンで上に行けない奴がメジャーデビューなんか出来るわけない。ソロで戦え。」と教えられました。

そして私のセルフプロデュースで基本やって行きたいっていうスタイルを尊重し、いつも応援してくれました。

その後私はある決意をしました。
もっとSHOWROOMの中で売れるために
タレント・モデル枠へ移行しようと。
(その時1番強い演者が多いカテゴリーがタレントモデル枠だったため)

私は配信開始3ヶ月でタレント・モデル枠へ移動し再出発をしました。

それから5ヶ月...
私は一度もSHOWROOMのイベントで1位を取ることが出来ず8ヶ月目で初の勝利を手にしました。

「やっと0が1になった。」

この日に私はやっとスタートラインに立てたのだと思いました。

そして2018年1月、私はSHOWROOMの全カテゴリー月間1位を獲得しました。

その後も全速力で走り続け私や他アーティスト、大島P、クリエイターの方々全ての頑張りが形になり2018年5月、自社スタジオと共にBIG ISLAND RECORDSが設立されました。

人生でずっと大きな場所に選ばれることのなかった私は、ファンという存在に選ばれて2018年12月SHOWROOMのTOP15に行くことが出来ました。

そして同じ12月活動開始以来最大の試練に立ち向かうことになります。

"あま津うに初のCD『secret star』を4日間で1000枚以上売ること"

今日はここまでです!

続きは次の記事で☆

あま津うに