まさか、アフガニスタンの農業用水路が朝倉市の山田堰を参考にしていたとは知りませんでした・・


江戸時代の技術が現代でも通用するとはすばらしいですね。


西日本新聞より


江戸時代に築造され、今も現役で筑後川の水を水田に引き込む朝倉市の山田堰(ぜき)が脚光を浴びている。


自治体の視察や学校の社会科見学が増え、開発途上国の政府関係者も約350年前の技術力に驚きの声を上げる。

注目されるきっかけとなったのは、アフガニスタンで井戸掘りと用水路建設などを通し、復興支援する非政府組織「ペシャワール会」の現地代表、中村哲医師の講演という。

 

山田堰は、1663年に築造が始まり、1790年、ほぼ現在の形になった。総面積約2万5千平方メートルの全面石張りの堰で、筑後川の水を引き、650ヘクタールの水田を潤している。


同市のシンボルでもある国史跡「三連水車」は、山田堰から引いた堀川用水路の水をくみ上げる装置。

 三連水車が観光客でにぎわうのに対し、山田堰は地味な存在で、訪れるのは治水関係者の専門的な視察ばかりだった。


それが3年ほど前から一般の見学や国際協力機構(JICA)の視察申し込みが入り始め、見学者は年間約千人に上った。


 「ペシャワール効果が大きい」と山田堰土地改良区の徳永哲也事務局長は話す。アフガンに全長約25・5キロ、総水量1日40万トンの農業用水路を完成させた中村医師は各地で講演するたびに「山田堰のコピー」と強調していたという。

 

今年8月には中村医師が同市を訪れ、講演でアフガンでの用水路建設にあたって「何十回も見に来ました」と見本にしたことを明らかにした。

 

14日に視察に訪れたJICAの黒沼宏・研修指導員は「土砂の流入を最小限に抑える構造がほかの堰にはない利点。江戸時代の技術であり、開発途上国でも参考にできる」と評価。


一緒だったミャンマーの農業灌漑(かんがい)局職員ターヤーさん(37)は「岩盤を切り開いた人々の苦労がしのばれる。堰のデザインも素晴らしく、参考にしたい」と入念に見て回っていた。


 同改良区の西岡隆士理事長は「国の事情は違うだろうが、少しでも参考になれば、苦労したご先祖さまも喜ぶはず」と誇らしげだ。

=2010/09/16付 西日本新聞朝刊=