発達障害を持って生まれてくると、はっきり言って、この世の中で生きていくのは、大変不利です。

 

 不利ではありますが、発達障害を持った子供でも、希望をもって生き、ちゃんと大人になって自立できるようになる方法があると思います。

 

 今日は、発達障害を持った子供がきちんと自立できる、そのような方法のうちの1つと思えるものを書いてみます。

 

 それはズバリ!子供の得意なことをきちんと認めてあげる、その事に尽きます。その、得意な事を伸ばしてあげれば、将来はそれでお金を稼ぎ、自立できる!ということです。

 

 実は私はそうできなく大人になってしまったいわゆる「失敗例」なのです。

 親が、私の大切な個性を認めないために精神障害者となって惨めにも無職、引きこもりとなっている失敗例なのです。

 だから私は、もし発達障害でお悩みのお子さんがいるのでしたら、そのお子さんの得意な事を見つけてあげて、それを伸ばしてあげるのがいいのでは、と思うのです。

 

 私には酷い発達障害があり、和を重んじるこの日本の集団の中で適応できませんでした。そして今、仕事といってもA型事業所という福祉関連の場所にしかいれません。そして、40ウン歳にして、独身、子供のいない哀れな女性になってしまっています。

 

 そうならない方法はやはり、子供さんの個性、好きな事や得意な事をできれば早い段階で見つけてあげて、親がそれを認め、伸ばしてあげることだと、廃人に近い人間になっている中年の発達障害当事者として言えます。

 

 私の父親は、仕事のことだけを考え、母親に育児を全て投げていました。

 当の母親は、自分の思い通りの子供に育てたいその一心で、私の「自立の芽」を摘み取り、奪ってゆきました。私の母親は、私に「普通の会社員になってそして、お嫁さんになって、自分のこの家を継いでほしい(つまり普通に会社勤めをして、結婚して孫の顔を見せてほしいし、自分の老後の介護をしてほしい)」と、そう強く願っていたのです。

 それ以外は一切許しませんでした(涙)

 

 私は、絵を描くことと、そして物語の創作をすることが小さな頃から大好きだったので、美大か、ダメならば美術系の学校へ行き、絵を勉強したかったのです。

 絵を勉強し、漫画家になりたい!そんな夢がありました。

 物語とキャラは、勝手に出来上がってゆき、よく天から降ってくるかのように物語やキャラのアイディアが閃いたりしていました。

 ある時、母に私の絵や物語を見せると母は、「気持ち悪いもの描いてんじゃないよ!」と私を否定することを言いました。

 

 ですが、私は、絵を描くことと物語を作ることが大好きなので、若いころは漫画を描き続けていました。そう、母に言われてもやめませんでした。好きすぎて、やめれませんでした!!

 

 そしてある時私は母に、「漫画家になりたい!」と、真剣に語りました。すると元々空気の読めない私と同じアスペルガーを持っているらしい母は、「だったら、漫画家の先生の家に住み込みで弟子入りしなさい!」と、とんでもない事を言い出しました。

 私は元々アスペルガーを持っていたために、空気が読めず、漫画家の先生のご機嫌を取ったり、アシスタントの皆さんの中に難なく溶け込んでいくといったスキルを持ち合わせていません。

 それに、人間関係で失敗しまくり、学校ではいじめのオンパレードだったこの私に向かって、「漫画家の先生の家へ弟子入りしなさい。」と言ったのです。アスペの私には、できるはず、ありません。

 本当に信じられませんでした。

 

 私は漫画家になるために、美大を目指す人向けの予備校で絵を習い、美大を目指すか、美術系専門学校へ行き、絵の腕を磨き、そして漫画を描き、投稿したりアシスタントになったりして、漫画家を目指したかった!

 私がそうするには、何といっても身近な家族の、特に心の支えは必須です。

 母は、私がそうしたいことを真っ向から反対してきて、私の欲求は一切聞き入れてもらえませんでした。

 そして私は、母が望む大学へ行きました。その大学が受かった時、全然嬉しくなかったその事を、今でもよく覚えています。

 私はずっと、母親の路線で生かされ、しかも発達障害のために適応できず、廃人道まっしぐらなので、精神不安定になり、うつ病や不眠症などの二次障害に苦しみました。

 このようにして、母親は、私の「大切な芽」を1つ、摘み取りました。

 

 母親に摘み取られた「大切な芽」は1つではありません。

 私は実はピアノも習っていました。

 それである時ピアノの先生から「あなたには才能があるから、音大を目指しなさい。」そう言われたこともあります。中学3年生ぐらいの時でした。

 私は、絵やストーリーと同じくピアノも大好きだったので、それを母に言うと、「うちにはお金が無いから、音大には行かせられない。」そう言ったのです。

 ですが、そのかなり前、母は、「才能があれば美大とかにも行かせる。」と言っていたことがあります。それは、母が、私を自分の思い通りの子に育てたいがための、ただの言い訳でした。

 そこでまた1つ、私は母親に「大切な芽」を摘み取られました。

 

 また、今でも母親は、私の「大切な芽」を摘み取ることが大好きのようです。

 私が小説を描いているのを知った母は、「あんたは、小説家になろうとしちゃ、ダメよ!絶対になれないから!今は、小説も時代のニーズとかに対応しないといけない。あんたにはそれができない!だからあんたが小説家になるなんて、無理!」そう言って、私の「大切な芽」を摘み取ろうとしています。

 私は何度も何度も「大切な芽」を母親に摘み取られ続けてきて、根拠のない自信の無さが半端なく強く、廃人のような人間の大人になってしまいました。

 

 もし、子供の頃、母親がもっと私の持って生まれた特性を認め、それを伸ばしてくれていたならば、今のように廃人同然になってしまっているこの大人の「私」はいなかったと思います。

 私は漫画家か、漫画家のアシスタントか、ピアニストか、作曲家か、ピアノの先生等になれていたかもしれない。そうして1人で生計を立てることができていたかもしれない、そう思うと、とてつもなく悔しいのです!!

 母親が私の「大切な芽」を何度も何度も摘み取り、自分の思い通りに育てようとしてきたせいで、今の私は廃人にとてつもなく近いです。自信も無く、自分はとてつもなくダメな人間としか思えない(母親の提示してきた会社員生活というものが一切うまくできなかったから)です。

 そのせいで、長生きしたくないので、市の定期健診にも行っていません。惨めな40代になってしまったので、なるべく早く自然に死にたいからです。

 発達障害の子たちが、こんなに悲しい大人にならないことを、私は願っています。

 

 発達障害の子供でも、希望があります!必ずあります!!よくよくその子を観察してみれば、その子が未だ気づいていなくても、その素晴らしさの片鱗は必ず見つかるものです。

 誰でも得意な事、大好きな事を持っているものです。普通の人、精神障害者、色々な人と出会い、私はそのことを痛感させられました。

 その「得意」を伸ばしていってあげると、それが将来の職に繋がる、私はそう信じています!

 

 発達障害の子たちも社会で羽ばたき、一人前の大人になれる、そのことを私は、心から祈っています。

 そして、親が幼少期から全てを否定してきたせいで、廃人のようになってしまった私のような悲しい発達障害者がいなくなることを、心から願っています。