「私、ミリファエルっていいます。子供時代は、アスペルガーとADHDという発達障害の概念が普及しておらず、かなり苦しみました。
空気を読んだり、暗黙の了解が理解できなかったり、忘れ物が多い私は、他の子供とはかなり変わっており、沢山いじめられました。
ですが、暖かな家族がそんな不器用で何もできない私の特技を見出してくれました。
私は絵を描くことと物語創作が大好きでした。心優しい家族は、そんな私の特技を伸ばしてくれました。
家族の勧めと私自身の出した結論で、私は漫画やアニメの専門学校へ進み、同じような志を持つ仲間と出会い、そして漫画家としてデビューしました。
実は私はアスペとADHDで、人間関係はかなり不器用で、忘れっぽく、また物覚えも悪くて、世間に存在するほとんどのお仕事、そしてアルバイトさえできませんでした。
ですが、漫画を描き出す才能だけは飛びぬけているようで、漫画家として成功し、食べてゆくことができるようになりました。
そして、『苦しんでいる人の力に、少しでもなりたい!』そう思った霊媒体質の私は、口コミから霊的相談も受けるようになり、様々な苦しんでいる人の相談を口コミで受け、その口コミが広がってゆきました。
今は、子供の頃の辛い環境や試練が沢山あったその事実に感謝することができます。
あの頃の私があったからこそ、今の私でいられます。あの頃の辛い経験があったからこそ、人の痛みの分かる人間になれました。日々感謝です。」
・・・・・・なぁ~んて、ね!
上記の文章は、もういい年齢になってしまっている私が「こういう人生だったらよかったのにな~。」って想って描いた文章です。
上記のような「幸運な」人生送ってる人なんて、クソくらえ!そう思ってしまう今日この頃です。(幸運な人生を歩んでいらっしゃる方々、本当にごめんなさい。私、辛いことばかりで、こうした考えしかできなくなってます。)
ほんと、上記のような「苦しい時があったけれども、今は幸せ♡」な人なんて、クソくらえ!です。(ごめんなさい・・・・・・。)
私の今の「実際の」人生模様は嵐の連続で、いい年齢になってしまっている今も台風、嵐、地震、ミサイル等続いています。勿論物心ついた時から、アスペとADHDで、子供時代から苦しみの連続、大人になっても苦しみの連続です。
はっきり言って、努力しても何しても不幸せにしか人生進んでません。
上記の文章ではなく、正直な私を下記に記します。
私が生まれ、子供時代を過ごした昭和の古い時代には、アスペとかADHDの観念が存在しませんでした。
それで私は、幼少期からずっと苦しんでいました。
空気を元々読めない性質を持つ私は、保育園に行き、なじむことができませんでした。それで『保育園行きたくない!』そう、母に訴えると、母は、『行きたくない!』と泣き叫ぶ私を、毎日のように、大人の強い力で保育園まで引っ張って連れて行きました。
また、保育園では、いじめが私を待っておりました。男の子女の子、皆、風変りなアスペでADHDの私をいじめてきました。
でも、行きたくない旨を訴えても母は、無理やり私を保育園へとぶち込みました。
そのせいで、小学校時代には人前でしゃべれないほど、心が病んでしまいました。
そして、嫌な事を『嫌だ!』と家庭の事情で言えなくなってしまった私は、ますます学校でいじめられました。
家でも、『変な子だ』という奇異な目で見られ、心理的虐待を日々受けて、外に行けばいじめられ、で・・・・・・子供時代は、針の筵でした。
私が『漫画家になりたい!』そう言うと、アスペとADHDの理解の無い(当時は発達障害と分からなかった)母は、『本当に漫画家になりたいのならば、漫画家の先生の家に、住み込みで弟子入りしなさい!』なんて、無茶なことを言ってきました。
アスペでKY、暗黙の了解が理解できない、とってまわしがきかない、ADHDでミスばかりする、集中力が続かず仕事がなかなか覚えられない、そんな私です。
たとえ漫画家の先生の家に弟子入りしたって、嫌われることが確定しているじゃあないですか!それが証拠に、周りの人たちは、こぞって私をいじめてきましたから。
ほんと、母の神経、分からないです。鈍いです!
そんなことできない私でしたので、知的遅れの無い私は、母が指定する大学へ行きました。
この大学は、母が指定したものであり、特に行きたい学校ではありませんでした。
私は本当は漫画家になりたかった!でも、うちは、特別裕福でもなかったので、大学を出た後、バイトしてお金を貯め、それで漫画やアニメの専門学校へ行くお金を稼ぎたかった!
ですが、幼少期からアスペとADHDの症状で周りの人から嫌われ続け、家族からも変な目で見られ、妹からも嫌われ・・・・・・・で、私には味方が1人もいませんでした。
そこで20代になっても働きに行けない私は仕方なく、母が勧めるままに引きこもり専門の精神科医のいる病院に入院しました。
でも、その先生もアスペとADHDを認める先生ではなく、結局根本的原因にアスペとADHDのあった私は、数年入院しても、治るはずがありませんでした。
治らないまま、そこの病院を退院し、退院した時には、薬漬けになってしまっていて、睡眠薬なしでは眠れない体になっていました。そんな私の若い頃もまだ、発達障害の概念は無く、どうして私にはできないことばかりなのか、20代の大人になっても分からないままでいました。
20代になっても30代になっても40代になっても、私はできることをしようとして頑張ってきました。
私にできることはほとんど無かったけれども、物語創作だけはできたので、小説を描いて投稿し続けました。
ですが、何と私には才能が無かったのです・・・・・・!!
いくら私が頑張って小説を執筆しても、賞なんて取れなく、ただただ自費出版を餌にしようとする悪徳出版の会社に引っかかるだけで、作家になんてなれませんでした。
霊感もあったのですが、霊感のある知人の話によると、私がダメ人間だから神様が愛想をつかせ、私から離れていったそうです。
霊感の仕事、実は少しだけしていました。ですが、少しして、もっと才能のある若い霊感の強い方が現れ、その方と私が取って変わることで、結果として、霊感を生かす仕事もできなくなってしまいました。
私のあとに来た方は霊感も強く、また普通の定型の方なので、人間関係も私よりもうまくできるため、その方と私が入れ替わる形となり、私は霊感の仕事も失ってしまいました。
・・・・・・こんなアスペでADHDで、ズタボロな人生、何もできない人生を送ってきても、まだ一生懸命に生きている私ですよ!ここで、「人間関係もうまくできない、不器用、とってまわしがきかない、暗黙の了解が分からない、バイトさえできないしで、人生はズタボロ。しかも、霊感のお仕事も、人間関係がうまくできないため、失う。」そこまで過酷な人生を送って来た私に、神様は生きて行くための才能を1つでも授けてくださっていてもいいんじゃあないかって最近は思います。
例えば人間関係はダメでも、手先が不器用でも、とってまわしがきかなくても、暗黙の了解が理解できなくても、それでも小説で賞を取るような才能だけは持つ!そんな『できないことばかり』の中頑張って生きてきた私に、1つでも、才能を与え、食べてゆく術を神様は、与えてくださってもいいのにな!そう思うんです。
・・・・・・でも、神様は、私にめちゃくちゃなADHDとアスペを与え、そして、とてつもない報われない運の悪さを与え、将来まるで私をホームレスか自殺者にしようと企むかのように苦痛を与え続けているんですっ!
私は霊媒体質ですが、時々、「神も仏もあるもんかっ!」そう思えてしまいます。
ですがやはり、時々霊は感じるので、スピリチュアルな観念も持っています。
もはや辛すぎて、神様に復讐したい!そうした気分になることが多い私です。