菊池渓谷から近いところにある菊池神社へと・・・・・
菊池神社は、熊本県菊池市にある神社で、鎌倉から室町時代に活躍した菊池一族を祀る神社。
菊池氏は後醍醐天皇の倒幕戦争に加わり、南北朝時代には九州における南朝の主柱として奮戦した。
【御祭神】
菊池武時公 (第12代)、菊池武重公(第13代)、 菊池武光公(第15代)の父子を主祭神に祀る他、菊池氏の一族26柱を配祀。
菊池城本丸址に鎮座。
創建は明治からなので、新しい神社ですね。
歴史
菊池氏は、肥後国菊池郷の豪族であり、建武中興において九州における南朝(吉野朝)の首将として九州各地で活躍した。
10代武房の時、蒙古襲来で活躍。
その後、後醍醐天皇の倒幕活動に尽力。
12代武時、13代武重は、北条氏との戦いで討ち死にした。
15代武光は、亡き父や兄の遺志を受け継いで南朝に尽くし、後醍醐天皇の皇子懐良親王を奉じて、南朝全盛時は、九州一帯に広がるまでになった。
13代武重から17代武朝までの約70年間、南朝方に尽くしたことになる。
18代兼朝、19代持朝の時、筑後守護となり、室町期に全盛期となった。
後の加藤清正が肥後を納めるまで、肥後の中心地だったといわれる。
詳しくはこちら→http://kikutijinjya.bakufu.org/
菊池 武時(きくち たけとき)
菊池武時像
菊池神社は、熊本県菊池市にある神社で、鎌倉から室町時代に活躍した菊池一族を祀る神社。
菊池氏は後醍醐天皇の倒幕戦争に加わり、南北朝時代には九州における南朝の主柱として奮戦した。
【御祭神】
菊池武時公 (第12代)、菊池武重公(第13代)、 菊池武光公(第15代)の父子を主祭神に祀る他、菊池氏の一族26柱を配祀。
菊池城本丸址に鎮座。
創建は明治からなので、新しい神社ですね。
歴史
菊池氏は、肥後国菊池郷の豪族であり、建武中興において九州における南朝(吉野朝)の首将として九州各地で活躍した。
10代武房の時、蒙古襲来で活躍。
その後、後醍醐天皇の倒幕活動に尽力。
12代武時、13代武重は、北条氏との戦いで討ち死にした。
15代武光は、亡き父や兄の遺志を受け継いで南朝に尽くし、後醍醐天皇の皇子懐良親王を奉じて、南朝全盛時は、九州一帯に広がるまでになった。
13代武重から17代武朝までの約70年間、南朝方に尽くしたことになる。
18代兼朝、19代持朝の時、筑後守護となり、室町期に全盛期となった。
後の加藤清正が肥後を納めるまで、肥後の中心地だったといわれる。
詳しくはこちら→http://kikutijinjya.bakufu.org/
菊池 武時(きくち たけとき)
菊池武時像
ウッキペディアから
菊池城は、熊本県菊池市隈府にある中世の山城跡で、菊池氏の本拠であった。別名、守山城や隈府城と呼ばれる。
菊 池十八城と呼ばれる城砦の一つで、正平年間に菊池武政により築城された。菊池氏は九州における南朝方の有力者で、後に肥後守護に任じられ現菊池市は城下町 として栄えた。戦国時代に入ると菊池氏は内紛を繰り返して衰退し、家督を阿蘇氏や豊後大友氏に奪われ菊池氏正統は没落した。
後、菊池氏の 一族で菊池三家老の赤星親家が城主となるが、同じ菊池三家老の隈部親永に圧迫され、1578年(天正6年)親家の子赤星統家の時、龍造寺氏と結んだ親永に よって赤星氏は菊池城を追われた。1580年(天正8年)親永が入城し、北上する島津氏と対峙したが、隈部氏は篭城してこれを凌いで島津氏と和睦し所領を 安堵された。
1587年(天正15年)羽柴秀吉の九州平定後、親永は佐々成政の配下に組み込まれるが、同年親永が菊池城に拠って成政に反抗したため、反乱が鎮圧された後に菊池城は破却された。
菊池本城は雲上城とも言われとったらしいよ。(^∇^)
菊池十八外城方位碑
菊池十八外城(きくちじゅうはちとじょう)とは
菊池本城を取り囲むように形成された城塞群。
菊の城(菊の池城、菊池古城)、染土城(鷹取城)、亀尾城(丸城、板井古城)、城林城(上林、木葉、城村、城山)、茂藤里城(元居城)、出田城(古池 城)、馬渡城、正光寺城、増永城、台城(水嶋城、水島城)、神尾城、葛原城、五社尾城、掛幕城、市成城、黄金塚城、戸崎城、打越城 (菊池風土記より)
りっぱなUFOですなぁ~♪プー!(*≧m≦)=3
神門の玄関に龍が!Σ(・ω・ノ)ノ!
菊池神社には、猿田彦大神石碑もあったらしい。わからんかった。(^▽^;)
菊池神社歴史館閉まっとった。(≧▽≦)

17 : 00までやて、、、着いたのが17 : 00やったけん。(笑)
菊池渓谷にどっぷり浸かっとたけんね。
あはははは!(≧▽≦)
菊池神社・菊池神社歴史資料館
肥後国 くまもとの歴史







