昨日は「ここは地球だ」に33と、何度もあり、よっぽど強調されてるんだと思った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

正しい知識は全て、自分自身の内側に存在します。

(宗教とヨガの違い/永井由香さんの記事より)

 

言葉の意味を調べようと検索かけたら、「ヨガ」の内容へ繋がって…。全く無知・無関心だけども真剣に読み入った。記事を載せると、「説明」が多くなるので、ノートに書いた私の感想のみ。

 

ホント、やってきたのは自分だけど、自分独りでは絶対に辿り着かないんだよね。

 


結局、みんなのお蔭。

やったのは自分でも、「自分のお蔭」とは絶対になり得ず、「お蔭」は【みんな】にしかならない。ありがとう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

(他)人が自分の経験してないものを経験してくれ、見せている。ずっと前に主人から聞いていて完璧に忘れた事だった。今がこれを書く時だったんだ。

 

 

「走馬灯のように…」

これは言葉としてまま、印象に残るけども、経験するには「その状態」にならないとホントの事は知り得ない訳で。

 

 

主人。まだ若い頃に事故って、「死ぬ」と思ったんだろうね、【脳】が。

 

「ぶつかるのなんか、一瞬のはずなのに、もうハッキリは憶えてないけど、グルグルグルって、色んな人の顔とかが一瞬で…」

 

 

走馬灯なんだね、ホントに。そして「少し寂しいような気持になった」と言っていた。もう会えないと思ったみたい。30年以上前の話で、主人はその時の感情をハッキリとは憶えてない、と言っている。

 

 

この人はホント、私がしない経験をよくする。しようと思ってできる経験じゃない事をしてる…。そう思った時に、主人に限らず、自分以外全てがそういう事なんだ、と。33

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「経験」だけがあっても、それを説明する「知識」がないと、している経験は流れに埋もれたままで、知識だけあっても実感は伴わなくて。両方のレベルが合ってきてやっと肚に落ちるという感じ。

 


経験もしようと思ってできる事・できない事、させられる事、そして見せられる事があって、ソレ全てが「経験」で…。



これを書くと、何方かの気持ちが分かりそう。

 いや、この世を知っていくと、世に言われている「神」の心境にしかならない。



そして、「走馬灯」は、あの世へ行く時に同じような経験をする、という事になるのかな。そこに大魔王が出てくるかどうかは、私は分からないけれども。