そろそろ、昨年末書いた「主人の例」を私との比較を交えながら…

 

 

続ける事を習慣にするのが得意な人…得意というより、当たり前にその状態。これは主人。卒業が前提で「目的」が達成されていれば、手放したい人。これは私。

 

 

継続も卒業もどちらも場面においての一長一短があるから良し悪しの話ではない事を前提に。

 

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いつだったか昨年、「68秒間焦点を合わせた意識でいれば、現実化が始まる…」的なモノを知り、面白そうだからやってみよう!と主人とやっていた。各々の意識を集中させて…

 

チクタクチクタク…

 

時間も短いし、主人は日々のルーティンにしてしまう。私は疑問に思ってくる…

「コレ、いつまでやるの?」

 

 

意識を投げたら、そのように動き出すんでしょ?毎日投げ続けるという事は、そうなっていない(無意識にそう思ってる)から続けるって事よね?

 

 

投げたら、もう叶うんじゃん。「あ、叶った」(←コレはたまに私が感じる根拠なき確信反応があったから)だから大丈夫だよ、やらなくたって。

 

 

多分、意識も無意識もなく、主人みたいに完全ルーティンにしちゃう人はいるのだと思う。飽きもせずに同じ事を、同じ順序でやり続ける主人に私はいつも感心する。凄いよなぁ…と。

 

 

私は「慣れの継続」の域に入ると、違和感、窮屈などを感じて必ず卒業する…きちんと飽きる。私の中で「飽きる」と言うのは、「その時点で必要ない」と捉えるので、手放してしまう。必要ならばまたいつか、運と縁とタイミングで引き合う。

 

 

意識して寝起きの「アファメーション」をやっていた時も、約3週間で様々な状況から実行できなくなった。その時は潜在意識の書き替えを目的にしていたので「あ、もういいんだ」と自然と離れた。(過去、どこかで書きました)

 

 

主人は「取り入れる段階」で精査(主人にとっては好き・嫌い/やる・やらない)しているので、「始めたモノ」はエンドレスになる傾向。その個性を把握しているので、たまに「気づき」を投げる。それでも続ける、止めるは主人の判断。

 

 

念の強い人なので、できるだけ軽くいられるように、あまり入り込み過ぎないようにだけ、言葉をかけます。

 

 

結局、私は本質が「うん」と言わないモノはできない様になっている(笑)だから揺られながら色々お任せして日常で様々な経験をさせてもらって、それが書く事に繋がっていって…と色々が循環しています。