コーヒーが飲める=大人


これは私独自の考えであり
固定観念


ここで言う大人の定義は
「私以上の能力や知識、経験を持つすべての人」


コーヒーが飲めるという能力を
私は持たない


というか、持てない


味の問題ではなく、体質の問題
飲めば体調を崩してしまう
相性が悪いのだ


だから、私は、
コーヒーが飲める人に、大人に
憧れている


カフェで
「アイスコーヒー1つ」というシンプルなオーダーができる人に
憧れている


私の場合は
「アイスティーください。ミルクで」
なんともまぁ、あどけない注文


これは私が私を評価してるだけであるため、
世の中のコーヒーを飲めない人を悪くいってるわけじゃない


私自身紅茶が好きで、
シンガポールに行った時にはTWGのレストランでマカロンと一緒にティータイムを楽しんだ




単純に、手が届かないから
憧れているから、羨ましいから



でもこの感情って大事だとも思う

 
        届かない憧れ

 

常に何かに憧れ続けることで
憧れる対象になることで
見えなかったものが見えるようになると
私は考えているから


だから、たかがコーヒーかもしれないけど


私はコーヒーに
コーヒーを飲む人に
憧れを抱いている



他者を認めて
尊敬している


たかが、コーヒーかもしれないけど


ちょっとしたことに
自身の想いをもつことを
大切にしたい