2010.06.19 Saturday
第1672回N響定期公演 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
BShi クラシック倶楽部 2010年6月6日
第1672回N響定期公演
交響曲 第5番 変ロ長調 (ノヴァーク版)ブルックナー作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)ヘルベルト・ブロムシュテット
~東京・サントリーホールで録画~
ヘルベルト・ブロムシュテット
1927年アメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。称号はバンベルク交響楽団名誉指揮者など。
仕事で渡米していたスウェーデン人の両親の元マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれる。2歳の時一家は帰国し、ストックホルム音楽大学やウプサラ大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学してジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽センターでレナード・バーンスタインに師事。
1935年にクーセヴィッツキー賞を獲得し、1955年にザルツブルク指揮コンクールで優勝。
1954年2月にロイヤル・ストックホルム・フィルでベートーベン、ヒンデミットなどの作品を指揮して指揮者として本格的にデビュー。その後、ノールショピング響、オスロ・フィル、デンマーク放送響、スウェーデン放送響の首席指揮者を歴任した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。ドレスデンを去った後はサンフランシスコ響、北ドイツ放送響を経て,1998年から2005年までライプツィヒ・ゲバントハウス管の首席指揮者を務めた。また、バンベルク響とN響の名誉指揮者でもある。N響を振っている事から日本国内でもよく知られた外国人指揮者の一人である。
ブロムシュテットは、指揮するオーケストラの資質を最大限に引き出し充実感溢れる演奏を行なう指揮者として評判が高く、また自身が北欧出身ということもあり、シベリウスやニールセンなどの北欧系レパートリーも演奏会やCDで積極的に取り上げている。
ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調は1975年から1878年にかけて作曲されている。
初演は1894年4月8日グラーツにおいてフランツ・シャルクの指揮で行なわれた。
金管楽器によるコラールの頻出やフーガをはじめとした厳格な対位法的手法が目立つ曲である。作曲者自身はこの交響曲を「退位法的」交響曲あるいは「幻想風」交響曲と呼んでいたにである。
その後のブルックナーの研究者によると、この曲はいったん1876年に完成され、その語その自筆稿上に直接改訂を加えたとのことである。1876年の完成形の再現が不可能であること。1876年の段階で初演等が行なわれていないことから、一般には「この曲は作曲者による改訂が行なわれていない」とみなされている。
第1672回N響定期公演 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
BShi クラシック倶楽部 2010年6月6日
第1672回N響定期公演
交響曲 第5番 変ロ長調 (ノヴァーク版)ブルックナー作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)ヘルベルト・ブロムシュテット
~東京・サントリーホールで録画~
ヘルベルト・ブロムシュテット
1927年アメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。称号はバンベルク交響楽団名誉指揮者など。
仕事で渡米していたスウェーデン人の両親の元マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれる。2歳の時一家は帰国し、ストックホルム音楽大学やウプサラ大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学してジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽センターでレナード・バーンスタインに師事。
1935年にクーセヴィッツキー賞を獲得し、1955年にザルツブルク指揮コンクールで優勝。
1954年2月にロイヤル・ストックホルム・フィルでベートーベン、ヒンデミットなどの作品を指揮して指揮者として本格的にデビュー。その後、ノールショピング響、オスロ・フィル、デンマーク放送響、スウェーデン放送響の首席指揮者を歴任した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。ドレスデンを去った後はサンフランシスコ響、北ドイツ放送響を経て,1998年から2005年までライプツィヒ・ゲバントハウス管の首席指揮者を務めた。また、バンベルク響とN響の名誉指揮者でもある。N響を振っている事から日本国内でもよく知られた外国人指揮者の一人である。
ブロムシュテットは、指揮するオーケストラの資質を最大限に引き出し充実感溢れる演奏を行なう指揮者として評判が高く、また自身が北欧出身ということもあり、シベリウスやニールセンなどの北欧系レパートリーも演奏会やCDで積極的に取り上げている。
ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調は1975年から1878年にかけて作曲されている。
初演は1894年4月8日グラーツにおいてフランツ・シャルクの指揮で行なわれた。
金管楽器によるコラールの頻出やフーガをはじめとした厳格な対位法的手法が目立つ曲である。作曲者自身はこの交響曲を「退位法的」交響曲あるいは「幻想風」交響曲と呼んでいたにである。
その後のブルックナーの研究者によると、この曲はいったん1876年に完成され、その語その自筆稿上に直接改訂を加えたとのことである。1876年の完成形の再現が不可能であること。1876年の段階で初演等が行なわれていないことから、一般には「この曲は作曲者による改訂が行なわれていない」とみなされている。