2010.01.14 Thursday
第1661回 N響定期公演       指揮:シャルル・デュトワ
 BSシンフォニーアワー 2010年1月8日 BS2 5.1サラウンド

  第1661回 N響定期公演      指揮:シャルル・デュトワ

 1.アゴン              (ストラヴィンスキー作曲)
 2.ピアノ協奏曲第2番へ長調作品102 (ショスタコーヴィチ作曲)
 3.交響詩「ドン・キホーテ」作品35   (R.シュトラウス作曲)

        ピアノ:キリル・ゲルシュタイン
        チェロ: ゴーティエ・カプソン
        ビオラ:       店村眞積
    
         管弦楽:   NHK交響楽団
         指 揮:シャルル・デュトワ

     [収録:2009年12月5日,NHKホール/12月A定期]

 今回久々にN響定期公演に第1661回、第1662回、第1663回に出演する事になったシャルル・デュトワに少し触れてみたいと思います。当サイトにもこれまで数多く登場しているのですが、紹介らしきものはなかったので、改めて彼のプロフィールの一部に立ち入ってみます。
 
  シャルル・デュトワ
 1936年スイスのローザンヌに生まれる。青年期にエルネスト・アンセルメと交流を深めるかたわら、同地とジュネーヴの音楽院で指揮、バイオリン、ビオラ、打楽器、作曲を学ぶ。
 指揮科を首席で卒業後、シエナでアルチェオ・ガリエラに師事。その後、アメリカ合衆国のタングルウッド音楽祭でシャルル・ミュンシュに師事。また、ルテェルン音楽祭ではオーケストラの奏者としてヘルベルト・フォン・カラヤンと共演し影響を受けている。
 学生時代からビオラ奏者として、ヨーロッパや南米の様々なオーケストラに在籍している。1959年1月、すでに親交のあったマルタ・アルゲリッチをソリストに迎え、ローザンヌ放送所属のオーケストラを指揮して指揮者としてプロデビューすることになる。
 以後、スイス・ロマンド管弦楽団やローザンヌ室内管弦楽団の客演指揮者を務める他、チューリヒ放送所属のオーケストラの指揮者となる。
 1963年、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を指揮して成功を収め、ベルン管弦楽団の音楽監督となる。1964年にウィーン国立歌劇場でマシーン振付けの「三角帽子」、ヌレエフ、フォンテーン出演のヌレエフ版「白鳥の湖」のプレミアを指揮し、以降2シーズン、同劇場のバレエを担当することになる。
 1967年にパウル・クレツキからベルン交響楽団を引き継ぎ1978年まで首席指揮者を務める一方、ベルンに在任中の1967年から1971年までチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団でルドルフ・ケンペを補佐している。1973年から1975年にメキシコ国立交響楽団を、1975年から1978年までイェーテポリ交響楽団の指揮者も兼務している。
 1977年にモントリオール交響楽団に客演し、その後音楽監督に就任。彼は精力的に海外公演や録音活動を行なうなどして、在任期間の25年に同楽団をカナダ随一の世界的なオーケストラに育て上げたのである。「フランスのオーケストラよりもフランス的」と評される所以である。
 1980年、DECCAと専属契約を結ぶ。1982年、モントリオール交響楽団を指揮して、カーネギー・ホールにデビュー。1983年、ミネソタ管弦楽団の首席客演指揮者。コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビュー。1987年、「ホフマン物語」を指揮してメトロポリタン歌劇場にデビュー。「惑星」イギリスグラモフォン賞受賞。
 1989年、フィラデルフィア管弦楽団のサマーフェスティヴァルの音楽監督兼主席指揮者に就任。モントリオール交響楽団とともに来日している。
 1990年より、フィラデルフィア管弦楽団が参加するニューヨーク州サラトガ音楽祭の芸術監督並びに首席指揮者を務める一方、2000年から3年間、レナード・バーンスタイン提唱の国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバルでも芸術監督を務めている。
 1991年、最初のオペラ録音「ペリアスとメリザンド」がドイツ・レコード賞を受賞するなど高い評価を得る。モントリオール交響楽団とともに南アメリカ演奏旅行。フィラデルフィアの名誉市民となる。
 1995年「トロイ人」がフランスACCディスク大賞を受賞。その時もモントリオール交響楽団とともに来日している。
 1996年中国、韓国へのアジアツアーの一環として、フランス国立管弦楽団とともに来日。
NHK交響楽団の首席指揮者に就任している。
 1997年にはN響とともにヨーロッパ演奏活動を行なう。1998年、デッカのスタッフが来日し、すみだトリフォニーホールでN響演奏によるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」を録音。前年ウィーンで録音した交響曲第6番とともにカプリング・発売され、大きな反響を呼ぶ事になる。
 同年9月には、N響の音楽監督に就任。N響とともに中国ツアー。11月23日に北京入りし、26日北京世紀ホール及び30日には上海新歌劇場でコンサートを行ない、ストラヴィンスキーやラフマニノフを演奏したのである。
 2007年2月に2008年から4年間の契約でフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者ならびに芸術顧問に就任する事が発表され、更に2007年4月には、2009年からロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督ならびに首席指揮者に就任することも発表された。
 また、2008年10月には、同じく2009年からヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督に就任することが発表されている。
 シャルル・デュトワは3度の結婚・離婚経験があり、かって妻であった、世界的ピアニストのマルタ・アルゲリッチと、オンタリオ州の著名なエコノミスト、マリー=ジョゼ・ドゥロワンの名が知られている。

 デュトワは、ベルリオーズやビゼー、ラヴェル、イベールなどのフランス音楽、リムスキー=コルサコフやチャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフといったロシア音楽を得意としている。
 また、デュトワは大の日本びいきとしても知られていて、和食や陶磁器の愛好家でもある。
 2000年から3年間、札幌を中心に行なわれるパシフィック・ミュージック・フェスティバル、2004年からは故・アイザック・スターンの遺志を継ぎ、宮崎国際音楽祭の芸術監督にも就任した。1999年にはNHK教育テレビ「シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典」に出演、自らキャストとして作曲家の役にも扮したのもよく記憶しているところである。